昨年に挑んだいがらしみきお著「IMONを創る」を読み直して、これをまとめて感想を話すのは違うという結論にいたりました。これは著者の理屈であって、わざと人には分からないようにしているものを無理やり分かったようにまとめることには意味がない。
人の理屈を一生懸命説明するんじゃなくて、私の理屈で説明しないと。つまりこれは実践型の本だというところに着地しました。
IMONは人間の土台の話
IMON(イモン)とは。かなりざっくりいうと、いがらしみきおが提唱する人間側のOS(オペレーティング・システム)のことです。人間の土台の話、パソコン用語で展開する哲学論、といってもいいかもしれません。
今回、思い切って具体的なIMONの話はしません。さっきまで書いてたけど消した!これは著者の理屈であって、単語の説明をするだけでこの記事が終わってしまいます。
概要として話すと、「現象を記号化して、行動をコマンド化した先に待っているのは無味乾燥(無意味)な世界」「意味を取り戻すための実践方法の提案」がされていると思っています。
我々はこの世にどういうものがあって、どこになにがあるのかを教えられてしまっているし、どうすればそれを手に入れられるかも覚えてしまっている。そのやり方がうまくいくか、いかないかはともかくだ。(P98)
いがらしみきお著「IMONを創る」より引用
発見する楽しみも、新たに知る喜びももうないのかも。ではどうするのか?という話です。
↓以前詳しく話した記事も、一応あります
記号化された「世界のお約束」を再定義
日本では義務教育で「世界のお約束」を叩き込まれます。国語、算数、道徳、歴史、対人関係、上下関係、などなど。さまざまなテストを繰り返し、答えを記号化してコマンドを覚えていきます。従順な人はここでOSが完成して、そこを土台として積み上げていくわけです。IMONはその土台を再定義・構築するためのヒントだと思います。
先日、外食中に「こえ、おちぃだねえ!」と連呼する子供に出会いました。食べ物を含んだとき、何とも言えない景色が広がる。自分の世話をしている人間が、「おいしい?おいしい?」と発している。そうか、この気持ちは「おいしい」というのか。それを言ってみよう。これが記号化の原点だと思います。果たしてこの子にとっての何とも言えない景色とは、「おいしい」だったのでしょうか?
これはかなり極端な例ですが、意外とこの世は「知ったふう」で過ごしていることがほとんどだと思います。これを一つ一つ、分解して記号化を解除、IMONで再定義していったらOSはアップデートしていけるのではないでしょうか。森羅万象にこれをやっていけば、まるっきり別の景色が広がるかもしれません。
一生、なんでも、笑いながら試し続ける
結果が正しくなかったとしても(中略)決断と行動という情報処理を、継続するしかない。いかなる問題が起ころうとも、”しない”ことによって解決しようとしてはいけない。常に”する”ことで解決するしかないのだ。やめるな!一生やれ!なんでもやれ!ほっといてくれ!(P99)
いがらしみきお著「IMONを創る」より引用
著者は、人間である限り情報処理をし続けろと話します。「グダグダ言うな!やるべきことをやれ!そして、できれば笑ってろ!」これが、IMONの正体だと背中を叩きます。
Windowsが毎週水曜日にアップデートを繰り返すように、我々も一生更新し続けるくらいでちょうどよいのでしょう。それは別に、著者のようにIMONじゃなくてもよくて、自分の理屈で組み立てることが大事なんだと思います。それも難しく考えるんじゃなくユーモアを交えて試していく。
これからは世界のお約束さえ新しくなり続けます。さらに、AIがみるみる私たちを快適にしてくれて、考えなくても快適に生きられるようにもなるでしょう。ただ、私は流されるんじゃなくて乗りこなしていきたい。今までの土台を分解→再定義して、この超変化の波に乗ってみたいです。
この本は「言っていることが簡単に分からない」のがミソ。自分の理屈は、自分しか分からないくらいでちょうど良い。再定義して再構築。やってみましょう。
(おまけ)1年前に読んだときよりも、一歩踏み込んで読めた気が…する!ただ、自分のIMON構築を終えるまで、乗代雄介による解説を読むのはお預けです。「私の成果をここで話すのはしゃくである。楽しやがって」この言葉を忘れずに、やってまとめてから読みます。