BOOKS:LIMELIGHT

読んだ本を、感想とともに紹介していきます。

いつまでこんなこと言ってるんだ問題~恥をさらして書き進む~

年明け早々、ずっと頭の隅で寝かせていた2つの記事を書きました。「自己形成」「作品形成」「再定義・再構築」、これが2025年の雰囲気です。今年は結構、分野を絞った話が多くなりそうな予感。

…それにしても、「いつまでこんなこと言ってるんでしょうね?」というのが正直なところです。自分が本当に話したいことってこんなことじゃないんだよ!と確信めいた気持ちがあります。ただ、多分ここを越えないことには次にいけないようになってるんですよ、きっと。

今日は自分をさらけ出した後に必ず出てくる自意識過剰のガス抜きに付き合ってもらいます。あー、こういう回路もいつまでやればいいんだー。

いつまでこんなこと言ってるんだ問題

私にとっての「いつまでこんなこと言ってるんだ」は、何かをするための気持ちを作る過程です。目標より前の段階の話ですね。したいことがあるならすぐ計画たててやればいいのに、まず気持ちをこねてつくらないと動けない。しかもちょっと変更があるとまた気持ちをつくり始める。めちゃくちゃロスなんですよ。時間の無駄だー。

ちょっと違うけど同じような例として、IMONを創る(いがらしみきお著)に「快適を目指して不快をする」って言うのがありました。

■快適を目指して不快をする
当然行くべき次のステップへはダイレクトに挑まず、いったん下がって”修行ゴッコ”をし、そこで発生する不快感で現状への潜在的罪悪感を払拭しようとすると。そして、それによって周囲との差別化を図るというのが、人間の業というものなのでしょう。(P172)
いがらしみきお著「IMONを創る」より引用

フィットネスや禁煙についてもこれにからめて話してあって、うなづくというか、うなだれるところがありました。修行ゴッコ、やってるやってる~!人間の業かあ、こればっかやって人生終わりそうです。

ここを越えないことには次にいけない説

ブログという人目にさらして常々こんなことをやっている訳ですが、回数をこなすうちに今の自分のようにうんざりしてきます。ここで終わらずにやり続けたら、無駄なことを話し終えて行動しまくれる次のステージに行けるんじゃないのかな?と思い始めています。

自意識を鎮める時によく聞くCreepy Nuts「だがそれでいい」の中で「お前は間違ってる 間違ってるが、それであってる」という歌詞があって、そんな感じ。まあ、その前に「また新たに書き足す1ページ 現在進行形の黒歴史」ともあって胸がえぐれるような気持ちになりますが…間違いまくった先に、無心で取り組める境地があるんじゃないかという願いのような思いがあります。

生き恥を晒しながらも書き進むしか

何にも言わなくても淡々と行動できる人になりたいよー。かっこいいですよね、そういう人。気質的に厳しいかもしれませんが、すんごいやりまくったら語らずともできちゃう人になれるかもしれません。みっともなくても、生き恥を晒してでも、私は次の段階に進むため書きましょう。いい景色が見たいから…!わ、また始まった、恥ずかしい恥ずかしい。

でもね、今日は違うかもしれないけど多くの場合は考えすぎなんです。他人は思ってるほど私の文章を心を割いて読んでないです。自分が読んで納得できればいいことがほとんどです。そこんところも忘れずに。
あー、みんながそれぞれ理想や仮説をこねて、間違いまくることすら楽しめる雰囲気になったら、だいぶ素敵かもしれません。さあ、めげずにまた書き出しましょう。