BOOKS:LIMELIGHT

読んだ本を、感想とともに紹介していきます。

言いたくて言えなかった人生ーマーク・トゥエイン作品に思うこと

年末年始の長期休暇で心が閉じてしまったのか、言おうとしてやめることが多発しています。

  • 「旅行、楽しかったですか?写真見せてください!」
  • 「芥川賞とれなくて残念でしたよね、もう読みましたか?」
  • 「今日お弁当忘れちゃったんですよね、お昼一緒行きましょう」

今週1週間の、言おうとしてやめちゃったトップ3です。こうやって話すと切ないなあ。引っ込み思案というよりは、会話が億劫になってやめた感じでしょうか。何らかの部分が疲れている可能性もあります。でももしかしたら、ずっと前からこういうところがあり、今気がついただけかもしれません。

意識しはじめたのは、マーク・トゥエインの「ジム・スマイリーの跳び蛙」を読んだ辺りからでした。この本は短編集で、どの作品にも読む楽しさがあふれていて、物語って面白いなと再確認する作品ばかりでした。

でも、ゆかいな雰囲気の中に、何とも言えない苦々しい気持ちが入ったものもありました。規律も覚悟もないままに戦争に駆り出された若者たちがユーモアを交えて描かれた「失敗に終わった行軍の個人史」という作品です。その中の、このフレーズがずっと離れないんですよ。

してやりたい、だけでは何の意味もない、してやりたいなら誰だって言える、と言い返し、連邦に対するわたしの忠誠をなおもこき下ろし、私の家系を中傷した。
(中略)
お前の家柄は信用ならんというのだーー奴隷を解放しようという気になった父親の子ではないか、と。(P143-144)

マーク・トゥエイン著「ジム・スマイリーの跳び蛙:マーク・トゥエイン傑作選」より引用

戦争に向かう最中、主人公は親がかつて奴隷を所有していたことを咎められます。そこで主人公は、父には解放したい気持ちがあったが、下手に開放したところで奴隷たちが路頭に迷ってしまうため解放しなかったという経緯を話した時の相手の返事がこれです。

「してやりたいだけなら誰だって言える」

以前もどこかで聞いたことがある言葉だったけど、この物語の文脈で聞くと、胸がざわざわして落ち着かない気持ちになります。そしてこの作品は作者が南北戦争に行った時の体験をもとに書かれたものだということも、のしかかってきます。

主人公はこの言葉を浴びた後も、その後の自分たちの様子を語っているなかでも、自分自身の思いは語りません。ずっと辛かっただろうし、戦争が終わった後も、毒のようにこのことに胸が痛み続けていたかと思うと…しかも、自分ではどうにもできない「事実」なんです。それがまた苦しい。

このことに比べれば、自分の「言いたくて言えなかった」なんてものすごく軽いことなのに。読み終わった今でも、相変わらずやってしまいます。

わたしは「言いたくて言えなかった」んでしょうか、自分の思うことが信用なりません。言おうという気になって結局言わないのであれば、そして思い出してクヨクヨとここに書きだすくらいならば、そもそも言おうなんて思わなくていいです。やりたくて、やれてないこともたくさんある。いろんなことを検討するのも、そろそろ終わりにしたい。腹を決めて、前に進みたい気持ちは本当なんです。この言葉も、動かないことには信用できません。

そういう気持ちになるのに、なぜか物語全体にはおかしみが漂っている。本当に不思議な作品でした。