ここ数日、いろんな人といろんな場所に行ってきた。たくさんものを見て、言葉をやりとりして、イメージを受け取った。
それらを書いてまとめたいと思いつつ、これは書かなくていいという結論に至ったので、その経緯を話してみようと思う。
受け取ったイメージを文字にすることの違和感
例えば、発見の多いイベント、興味深い本、勉強になった失敗、そういうのは言葉にすることでより深掘りできる感覚がある。体験したその時には気が付かなかった面白さに出会うこともある。
しかし、誰かと会って話しているなかで湧いてくるイメージ、美しい景色を見て自然と湧き起こる感情を言葉にすることには違和感を感じる。
書いて文字にすることで、変な部分を鮮明にしてしまったり、別の何かにすり変わってしまう気がする。
こういうものはぼやかしておいて、何かにする必要はない。自然とかたちにしたいと思う日が来るのかもしれないけど、まとめようと思うことはやめた。
私の場合は「やさしい時間」
さっき言った書かなくていいと思うような体験を、「やさしい時間」と呼ぶことにした。どっちが言ったか忘れたけど、この間友達と話していてこのフレーズが出てきて、それからずっとキーワードとして残っていた。
今年でいえば、好きなアーティストのライブに行った時、久しぶりにみんなで会って話した時、趣味の合う友達と美しいものを見た時。わたしが何かを受け取る時には、いつも「やさしい時間」がそこにあるように感じる。
書かなくていい体験は、悲しみ、虚しさ、残酷さ、そういう人もいるだろうな。人によって全然違うのが面白い。
表現は次のフェーズに入った
「やさしい時間」、このことについて書いてまとめたいことがあるとすれば「つくりかた」「増やしかた」についてだ。実際過ごした時間については書く必要がないと思ってるけど、どうやってつくる?どうやって増やす?とか、そういうことなら俄然書く気が湧いてくる。
他の人のやさしいひと時をまとめた文章を読むのは大好きだけど、わたしは書かないことにした。その代わり、この時間をつくったり増やしたりするために思いついた方法を日々試して、自分なりのかたちをつくる様子は書き留めていこう。
書きたいこと、書かなくていいこと。表現は次のフェーズに入った。
気づくのが遅い!でも人それぞれなんだよね
こういうことを言っている時にいつも思うのが、「気がつくの、遅くない?」だ。幼少期にいろんな体験をして、自然と身につけて大人になっていくんだろうな、みんな。
私はなんとなくでは分からなくて、こうやって書いたりまとめたりして違和感としてあぶり出すことでやっと気がつける。
でもね、もういいんです。こういうことって、人それぞれで、早いからいいという訳でもないんだ。自分の中で組み立てられたってことが大切なんだ。きっと。