わたしはあなたと、ただこのまましあわせでいたい。
親が安心するような、(少なくとも普通の)子供でありたい。
それぞれに純粋な二つの願いが、片方叶ったらもう片方が哀しむ、二律背反の願いだったら?どうすればよいのでしょう。
そんなことを考えてしまう本が、今日紹介する「きらきらひかる」です。
スネに傷もつふたり
ご存じの方も多いかと思いますが、この作品はアルコール依存症の笑子(しょうこ)と同性愛者の睦月(むつき)の結婚生活を描いた物語です。
人には言えない秘密を共有した二人は、独特ではありますが確かな絆で結ばれています。睦月には紺(こん)という恋人もいますが、愛憎劇にはなりません。
笑子と睦月は、スネに傷もつもの同士、二人でこの世界を守っていきたい同志。
笑子と紺は、睦月を人間として好きなもの同士、睦月を大事に思う同志。
互いに大切に思いあう、純粋で奇妙な三角関係です。
大切に思えば思うほどに、互いを苦しめてしまう
物語は時系列順に、笑子目線の話、睦月目線の話、と交互に6回繰り返します。
彼女は、いつも一人で戦っている。(中略)彼女をおいつめているのは僕なのだ、と思った。ひどくせつなかった。
まるで水の檻だ。やさしいのに動けない。(中略)どうしていつもお互いをおいつめてしまうのだろう。
妻も恋人も互いの家族も、なんとか大事にできないものか考える睦月と、ただただ純粋にいまの関係を続けていきたい笑子。回を追うごとに、よりお互いをかけがえのない存在に想いあうようになりますが、そう思って行動したことが結果的に相手を傷つけてしまうことになります。
大切な人を大切にしたい。でもどうやって?
この単純なようで複雑な願いは、なかなか叶うことはありません。作者はあとがきで、「素直に言えば、恋をしたり信じあったりするのは無謀なこと、蛮勇だ」とも言っています。
わたしはこの本を読んで、本当にこころよく生きるためには、独立した個人になる必要があると考えました。
親、子供、妻、夫、恋人…そういった役柄に対してバランスをとることに尽くすのではなく、大切な人を、大切にしたい。でもどうやって?この問いを自問自答しつづけ、時に相手に投げかける。二人のように、不器用でもそうやっていくしかないのだと強く感じます。
ただ、「大切にする」の範囲は、とても難しいです。
最後、笑子と睦月、それに紺は、自分なりの答えを見つけたように思います。それぞれに生涯をかけた苦悩があるだろうけれど、わたしはこれでよかったのだと思えるようなラストでした。
この時代特有の生きにくさがみえる
この作品が発表されたのは1991年。2023年現在で32年前のことです。
今はジェンダーへの理解が深まりつつある時代になりましたが、この時代の無理解(理解しようとすることさえしない)には驚きます。今では言ってはいけないような発言も飛び交っています。
以前読んだのは10年以上前で、その時は不勉強なこともあり、ここまでの違和感を感じていませんでした。時代性を感じるような作品になったんだな…としみじみ時の経過を感じています。