昨日のほぼ日エッセイ・今日のダーリンで「考えても考えてもどうしようもない問題」について触れていた。
ほぼ日刊イトイ新聞 - 昨日の「今日のダーリン」
(毎日更新でバックナンバーは見れないため、2024/10/30の午前中くらいまで ↑ から読めます。)
イトイさんが例に挙げたのは青春時代に戦争を体験した人について。
加えて"この問題は、それぞれの人生にも大小ある。それぞれに答えを見つけられないまま生きているけど、そうやってずっと心のなかに保存されてるものがあってもいいと思う。それが人の個性をつくる。"というようなことを話していて、今まさにそういうことを考えていたので何度も読み返してしまった。
こんな気分になっているのも、選挙の帰り道に買った星野智幸著「ひとでなし」を読んでいることが大きい。
小学校5年生の主人公は、この分厚い本の中で成長していく。彼は先生から教わり、自分の中にある嫌な気持ち、どう扱ったらいいかわからないものを、架空の日記に書き留めていく。
処理しきれない気持ちを言葉の部屋に閉じ込めることで、彼の成長にどう影響していくのだろうか。しかしこれにはイトイさんのいう「考えても考えてもどうしようもない問題」のような側面も感じて…それでも、気持ちを言葉に変えてきた彼には今、私とは別の景色が見えてるんじゃないかと思う。この思いはもはや、願いに近い。
なぜ、思ってはいけないことを思ってしまうんだろう。
なぜ、したくもないことを、やりたいようにみせかけてやっているんだろう。
幼い頃から繰り返し思い、どうしていいか分からず隅に押しやったままの過去が動き出して、読みながら無性に泣けてくる。
これは成長の過程によくあることで、学問上でも名前がついているような現象で、「考えても考えてもどうしようもないこと」に振り分けて本当によかったのだろうか?
今、一章を読み終えたところ。結局考えてもしょうがなかったとしても、なにか違う景色がひらけていますように。私は、彼が書いている架空日記に望みをかけている。