1日「1にんじんと1孫子」を始めてしばらく経った。
風呂で本を読むことが日々のお楽しみなんだけど、最近はちょっと趣向を変えて遊んでいる。
今までは20代前半の頃読んだ小説(江國香織、よしもとばなな、平安寿子など)の再読が中心だった。昔は感傷的な世界にどっっっぷり浸かっており、生きるのもさぞ辛かったろうと読み返しながら思う。
わたしはどうやら少し鈍感になれたようで、ずっとこの系統を再読してたら自家中毒を起こしそうになった。感傷的すぎるのは今の自分によくない。
長くなったけどそんなわけで、「1にんじんと1孫子」にたどり着いた。今日は2書を選んだきっかけと、それぞれの中間レビューをしていく。
岩波の棚で謎の並行読み発案
年始のブックオフは大幅割引がある。とにかくなんかしら買いに行かねばという気持ちで行くも、出会えず。とぼとぼ岩波の棚を眺めるとこの2冊が目に留まった。
にんじんは本を開けてみると挿絵があったりして、小さい話がたくさんある系なので読みやすそうと手に取る。孫子は以前、帝王学について考えていたこともあり、兵書を自分の頭の中でどう処理するのか知りたくなったことも手伝って一緒に購入した。
にんじんが相当重たい本だった
これ、Amazonの商品紹介見ていたらとても有名な本みたいだ。
ひらがなの「にんじん」と簡潔な挿絵に誘われて買ったものの、内容がヘビーすぎて情緒がおかしくなる。
まず、にんじんというのは「根性が捻くれたやつ」というスラングなんだけど、あだ名をつけたのが母親なんである。
母親は日常生活で巧みににんじんを追いつめる。追い詰めかたがなんかもう…めちゃくちゃ古いけど家なき子みたいな感じだ。
口にも出したくない意地悪を通り越した陰湿なやり口は、にんじんをにんじんたらしめる行動をとらせる。たまに出会う、どーなったらそんな思考回路や行動になるんだ?!って人のバックボーンを考えさせられるような内容だ。
…しかし、いま半分くらい読んだところで、少し潮目が変わってきたように感じる。この先どうなるんだろう?願わくば、誰からも「にんじん」と呼ばれる彼の本当の名と、彼の本当の心根を共有できる存在が現れますようにと願う。
と同時に、本当の心根って何だろう。あんな風に仕向けられたら、幼い頃の記号化がまちがったら、どうやって修正(?)していくんだろう。頭の中がずっと混乱している。
孫子は人生を生き抜く書か?
いわずと知れた中国最古の兵書…らしい。歴史に興味が薄く、ほぼミリしら状態だけどいきなり読んでみることにした。
13章に分かれていて、それぞれ漢文→仮名交じり→解説 の順で進んでいく。孫子といっても残されている書物はさまざまなバージョンが存在していて、学者たちがきっと今も研究を進めているのだろう。
- 読み方は探りさぐり
漢文はそのままでは読めないのでサッと目を通す。仮名交じりのところは単純に面白い。ちょっと韻を踏んであったり、大事なことが大事だとわかるような工夫がしてあるように感じる(2回言うとか)。兵書など本気でわかるはずもなく、でも考え方としては新鮮な部分が多かった。 - いかに戦わないか
兵書と聞いたら戦い方の極意が載っていると思っていたけど、1番大切なのは「いかに戦わないか」らしい。戦えば、少なからず兵士は死ぬ。武器も食糧も1日単位でかなりの量が必要になる。それは国力が落ちることを意味する。 - 戦いが避けられない時はさっさと終わらせる
とはいえ戦わないといけないこともある。そういう時は最短で終われるような工夫が必要。さっきのことにも被るけど、戦が1日でも長引けば、それだけ国力が落ちる。勝てる見込みがあれば戦い、最短距離で終わらせる。 - 人生を生き抜く書か?
わからないなりになんかこれ…人生を生き抜く書じゃないか?と思い始める。人間関係とか、社内政治とか。「孫子」という単語しかわからなかった自分は読んだ後どうなるのだろうか。
多分3%くらいしか理解できないので、孫子の解説してるyoutubeチャンネルとか探してみようかな。
並行読みで異質な世界へ
孫子が難しそうだから箸休めににんじんを読もう~と思っていたら、にんじんがしんどすぎてそれを中和させるために孫子を読む…みたいな構図になっていた。
並行読みは全く別のジャンルの2冊を読むのが個人的には好きなのだけど、これはいつもの感じとはまた違う、異質な取り合わせでいろんな思いを誘う。
しかしながら…風呂で読むようなもんじゃない、2冊とも。一旦最後までは読むけれども。