正直言って読みにくい。でも、こういう小説が好きだ!!好きだー!!!
叫んだものの、この気持ちを文章にするのは結構な勇気が必要だったし、根気がいる作業でもあった。
著者は乗代雄介氏。2023年芥川賞ノミネート作品「それは誠」を人におすすめしてもらい、でも本屋でわたしの目に留まったのはこの「十七八より」だった。うすぼんやりした淡い色味で、懐かしいような、うっとりするような装丁だった。デビュー作みたいだし、ここから読んでみることにした。
これは主人公、宇佐美景子の回顧録。
十七、八の頃を振り返る時、わたしは自分のことを「少女」と呼ぶ。少女は姉であり女子生徒であり、姪だった。
亡き叔母との関係は、未だかつての「少女」を構成する重要な要素となっている。
これは浮かんでは消えていく、過去の記憶たち、叔母との会話の端々を、まるですぐなくなるあめ玉のように、舐め続けているふりをしようという試みである。
作品を読んだいま、要約なんてするのは野暮だけど…たぶん、こんな話だと思う。
「書くには及ぶまい」
文中から一言抜くとすればここだ。
叔母の遺言について、ここへ書くには及ぶまい。
乗代雄介「十七八より(講談社文庫)」より引用
正確に言えば上記の文章なのだけど、わたしはこの作品を通して、この「書くには及ぶまい」が主のテーマなんじゃないかと思っている。叔母の遺言どころか(ニュアンスめいた描写はあれど、)この作品では書かれていないことがたくさんある。
記憶の端々を、現在と過去の自分の主観をごく丁寧に取り除き、場面の描写のみ落とし込む。
記憶の断片たちは、けだるい家族との会話だったり、古典に親しむ怪しげな時間だったり、眼科での皮肉なやりとりだったり、淡々としている。でも、そこかしこに確かに気持ちが沁みているのを感じる。
言葉にしたらそれだけのことになってしまう
この作品には、「言葉にしない」ことの美しさがある。少女はいう。
好きなことを、好きな人にも、秘密にしておきたいと思うのです。秘密にした分だけ、大事な気持ちになったり、価値があるように感じたりするのは、取るに足らない錯覚でしょうか。
乗代雄介「十七八より(講談社文庫)」より引用
この文章は好き、ということに対しての言葉だけど、別の感情でもそうなのだと感じる。言葉にしたら、そこで終わり。そこで過去も感情も固まってしまう。
形容することに対して
胸に響いたのは、文章を形容することに対しての叔母との会話だ。少女は自分が大切にしている、魚の生態についてのレトリックな文章を共有する。すると叔母は、その文章表現は"魚のように生きる”ではだめなのか、と問う。そしてこう続ける。
「その言葉が『魚のように』って言葉にすり替えられる時が、休みなく訪れるのよ。しかもすり替わったところで、そっくりそのまま同じ意味なの。それに耐えられる?(中略)」
乗代雄介「十七八より(講談社文庫)」より引用
じわじわと胸に迫る鋭さがある。懸命に言葉を尽くしたところで、それをひっくるめて一言ですり替えられてしまう時が来るのだ。それもひっきりなしに。
少女と叔母との会話は終始こんな調子で、だからわたしはすごく心地よかった。一筋縄ではいかない皮肉な雰囲気で、交わす言葉のどれもこれもが印象深い。
なぜ書くことにしたのだろう
さて、言葉で簡単に言わない美徳と、どんなに緻密な文章を書いたところで無遠慮にすり替えられてしまう危険性を顧みず、なぜかつての少女は書き起こすことにしたのだろう?
「ね、悪いこと言わないから覚えときなさいよ。色んなことを。なるべく全部のことを覚えておいて。今までにこの世に起こった全部のこと、何かのきっかけで思い出せるかもしれないって、ずっと覚えておいて」
乗代雄介「十七八より(講談社文庫)」より引用
わたしは叔母のこの言葉が大きいと思っている。思い出は時が経つと輪郭があいまいになって、自分の都合のいいように書き換えられてしまうことすらある。
かつての少女は、ずっと覚えておけるように。細心の注意を払って過去を振り返ることにしたのではないかと考える。
この本には冗長表現に感じる部分が何か所かある。特に病院のシーンはもどかしくなるくらい長い。でも少女は、なるべく全部のことを覚えておけるよう、懸命に鮮明に思い出そうとしたのではないか。どこに大事な部分が隠されているか分からないから。
そう思うとどれもかれもが、表現できないような複雑な気持ちでいっぱいになる。
どこまで味わえるかが試される作品
自分にとって大切な作品になったのは確かだけど、この作品を理解したとも味わい尽くしたともいえない。
叔母は文学に精通していて、少女もその影響を受けて文学に親しんでいる。二人の会話は時に小説や古典などの引用があり、描写にはさまざまな作家とその作品が連なっている。
わたしは不勉強だったのでバディ・グラスもイタロ・カルヴィーノも、チェーホフも読んだことがない。太刀打ちできない文章が割と冒頭から色濃く出ているので、そこでうわー、めんどくさい、とか嫌な気持ちになった人は入り込めない世界になっているのかもしれない。
逆にこれまで親しんできた人には、細かなニュアンスまで感じ取って味わうことができるだろう。羨ましい。
作品は3部作。文体が気になる
主人公「宇佐美景子」の本は3部作らしく、この作品のほかにあと2つも読める。懲りずに挑むのは決定事項として、気になるのは時系列と文体だ。
現在の様子なのか、また過去を振り返るのか、再会の話なのか。この作品同様の文体なのか、他の新しい試みをした文体なのか。
何も知らない今の時点ではいろんな可能性に満ちていて、すごくわくわくする。
文学賞の選考員たちのコメントも必読
この「十七八より」は、第58回群像新人文学賞受賞作。そして著者のデビュー作となった。巻末には、選考員3人の選評も載っており、読みごたえがある。
選考員の「まだまだなところもあるけどさ…やるじゃん」みたいな評価は、あれは最大の賛辞だと思う。期待してるよ。っていうのが滲み出ている。
最初の作品がこれってなんかものすごいな…。この作品はかなり切り口が独特なので、次回作のムードが全然違かったら幅の広さに驚くし、このままならばもうわたしは出ているものをすべて読もう。
そのくらい、わたしは、この作品が、好きだ。好きだーーーー!!!(おわり)