乗代雄介著「最高の任務」を読み終えた。2つの中編からなる本で、今日は1つ目の「生き方の問題」について話をしていく。
過去には「十七八より」、「本物の読書家」を読み、それぞれにうまく言葉にできないうめき声のようなレビューを書いている。どうやって話したらいいか分からないのだけど、その時に感じた気持ちを何とか書き残したくて書いた結果のひどい文章。だけど恥を上塗りしながら今日も書いている。
しかし、今回少し趣向が違うのは、初めてそんなにハマらなかったところにある。なんとなくほっとしているのは、盲目な読者ではなかったことへの安堵だと思う。この人の書くものなら何でも好き!みたいな読み方はしたくなかったけど、そうなってしまう危険性を感じていたから、一歩引いたところから読むことが出来て安心している。
あらすじ
一年前の今日、主人公である僕と、いとこにあたる貴方は同じ時を過ごしていた。あの日のことを振り返るためには、それよりずいぶん前の子供の頃から話さねばならない。貴方に読んでもらうための、長い長い手紙がはじまる。
長い長い手紙でする自戒と他責
とてつもなく長い手紙の形式をとった自戒と他責。それには絶えず後悔と迷いがつきまとう。
二度とここに戻らないよう自分に言い聞かせながら、こうなったことを自分のせいだけではなく貴方と「おあいこ」にするための作業。それを後悔と終わりのない悩みを抱えながら、一方的に書いていく。
進みたいがために書き出す、進めないことを確認する作業
うだうだと話し続ける主人公にいらだちともどかしさを感じる。しかし、もう一度あたまから読んだときに
ー僕は貴方との数少ない思い出を絞って一滴残らず文字に変え、その冷たい艶を潤滑油に、僕を磔にしている釘を一本ずつ引き抜こうとしているー
乗代雄介著「最高の任務」より引用
との文章を読み、これは前に進みたいがために書き出した、少しも進めないことを確かめる作業なのではないかと考える。作品名にあるように、二人をたがうのは生き方の問題なんだろうか。それを検討する作業でもあるように感じる。
自分が日頃やっていることとそう変わりはないような、
前に進めないことを確かめる。残酷なようだけど、例えそんな結果になったとしても、書き出しておくことには意味がある…と信じたい。なぜなら、わたしもまた現在進行形で同じ作業を続けているのかもしれないから。
自分が何かに固執しながら迷い、問い、自戒をしながら進むさまは、他人からみたらこんな印象かもしれない。しかもそれはわざと遠回りしながら点検と考察を繰り返して、振り出しに戻るような作業なのかもしれない。
それでも恥を続けるか?
…答えが見つかる可能性を捨てたくなくて、上塗りしていくしか。今のところ方法がない。読みながら感じたいらだちやもどかしさが、実はもともと手元にあったような気持ちになって、情けない気持ちが残った。ハマらなかったんじゃなくて、途方に暮れていたのかもしれない。
ただ、主人公に対して驚くのは、それを手紙のかたちにして対象に読ませようと試みるところ。執着と狂気めいたものを感じる。
わたしはこの話が本当に分かっているのか?
なんか、こうやって話していて、わたしはこの物語の言いたいことが少しも分かっていないような気がしてくる。思えば、他2作も感想を書いておきながら、本当にこういう話だったのか?途中から自分の主観が強く入って、物語をきちんと見えていなかったような、自信がない気持ちがいつもある。
分かったつもりになって生きていくのが辛いから、この人が引用する本を読んだりして、分かったような分からないような気持ちをさらに深めて、いつも情けなくなる。
答え合わせが怖くて、ほかの人のレビューすら読めない。それでも感想を書かないと落ち着かない。こうして書いて考えることに意味があると、いまは信じたい。
そういえばこの人の作品はいつも、主人公が書いているものをわたしたちが読んでいくスタイルで進んでいく。そのことにも何か伝えたいメッセージがあるのかな。