ほぼ日刊イトイ新聞のエッセイ「今日のダーリン」にこんなことが書いてあった。
たぶん、日常的に文章を書いている人なら思い当たるだろうが、どんなときでも、なにかに対しての不平不満だとか、賛成できないことなら、いくらでも探して書くことができる。
2024.7.18「今日のダーリン」より引用(7/20午前中くらいまで閲覧可能)
いつも会社の小休憩中に読んでるのだけど、手を止めてしばし考え込んでしまった。
本当にそうだなー。
世の中は自分仕様にはできていない。不都合なことばかりで、そういうことに対するしんどさだったり、こんな世の中への怒りに似た思いならいくらでも書けるのかもしれない。
ただ、そこに手を出しすぎてはいけないと、わたしも思う。書きやすいけど、そればっかりじゃダメだ。わたしが書きたいのはそういうことではなくて、そこから一歩進んで何をしていくか、何ができるかってことを書きたい…んだと思う(急に自信がなくなる)。
一方で、やりきれない想いや怒りにも力はあると思ってて、そういう言葉が全部なくなったらそれもおかしいよな。
変化するように書けばいいのかな。自己憐憫とか生きづらさとかから一歩抜け出した景色が見たいんだろうか。書いている本人のわたしは。
まあ、今日のダーリンが言いたいことは、あれが嫌これが嫌と不平不満を言ってると癖になるよ、そんなことよりも日々の季節の移ろいとか、もっと見るべきものがあるのかもよ。っていうことなんだろうけど、いつもどおり飛躍してそんなことを考えていた。
何を書いていきたいか。
すぐに答えが出ないので、全文コピーしてGoogleドキュメントに貼りつける。(イトイ新聞は2日で過去分が見れなくなるので)日頃からものを書く人には何か得られるものがある気がするので、よかったら読んでみて、何を思ったのか教えてほしい。
何を書いて、何を書かないか。割と最近はそんなことばっかり考えている。