BOOKS:LIMELIGHT

読んだ本を、感想とともに紹介していきます。

「思う」と「考える」についての考察。ー外山滋比古著「自分の頭で考える」を読んで

最近また、「思う」量が増えている。

朝起きて「思う」、ご飯を食べて「思う」、誰かと話しながら「思う」。思ってばかりでとても疲れる。本にも集中できなくて、同じ本を読んでばかりだ。これでいいのか?不安になる。

そこで、なにか刺激になればと「思考の整理学」で知られる外山滋比古の著書「自分の頭で考える」を読んだ。

本の内容をざっくりと

著者が晩年に出した「考える」ことに関するエッセイ。どこから読んでも構わない、砕けた感じの本だった。

印象に残ったのは以下の三つ。

  • 忘却には個性が出る
  • 日記より予定表
  • 思うのと考えるのは違う

忘却の話は今日の話とは趣向が違うので別でまとめるとして、残り二つについて振り返りながら「思う」こと、それから「考える」ことについて考えていく。

日記より予定表

著者は数十年ものあいだ熱心に日記をつけ続け、「日記は気休めである」と思うようになったらしい。すんだことを書き留めて何になるのか?起きたことに対して本当に忠実に記録できるのか?信頼が揺らぎ、不安を覚えるようになったという。

それでも日記はつけ続けたけれど、それとは別に、これからを書く予定表の習慣を取り入れた。予定は厄介なものから。順番としては、まず「考える」。そして「書く」。そのあと時間があったら「読む」というもので、わたしがいつもやっている順番とは真逆で驚いた。

この部分を読んで、日記というのは過去の出来事を思い出す作業=「思い」が先行している行動だなと実感した。そして、これからどうする?を組み立てる時、それは「考える」ということなのかもしれないと感じた。

思うのと考えるのは違う

いまさら書くのも気恥ずかしいが、私はいい年になるまで、"思う"と"考える"の区別がはっきりしなかった。(中略)"考える"ことを考えるようになって世の中がすこし変ったような気がした。

外山滋比古著「自分の頭で考える」あとがきより引用

具体的にどう違うのか、については書いていない。わたしも、語尾が同じものが続いてるなと思った時のバリエーションの一つくらいに思っているところがあった。

「思う」は、ただ感じるというイメージがある。花火で例えると、線香花火のようなものかもしれない。つかの間燃えてうっとりしては、あとかたもなく消えていく。

だとすると、「考える」先にあるのは、大きく開く花火玉だろうか?美しく開く花火をつくるために、一つ一つ緻密に火薬を詰めていくような。「思う」のかけらを集めて分類して、並べて筋道を立てていく感じ。どちらも綺麗だけど、達成感や動く気持ちの大きさはきっと全然違うだろう。

今悩んでいる「たくさん思ってしまう」ことは、花火にしてみれば材料の火薬自体はたくさんあるってことだ。 大輪の花火をつくりたければ、それだけ手間ひまがかかる。予定表の「厄介な順」でやるとすると、「思う」が続いたら、もう少し練って「考える」。そして「書く」。時間があれば「読む」。慣れない順番で戸惑うけど、読む手を止めてやれば、思ってばかりからは抜け出せるのかもしれない。

同じ時に同じことを考えている人が

…そんなことを考えていたら、今日のほぼ日刊イトイ新聞で、糸井さんは「思う」と「学ぶ」について考えていた。(2024年4月12日 今日のダーリン)

www.1101.com

「思う」は「じぶんの世界」のなか、「学ぶ」は「じぶんの外の世界」に手を伸ばそうとしている行為…うわあ、しっくりくるなあ。

そして、「じぶんの知ってることで考えてばかりで、他から学ぼうとしないと、それは大間違いをするよ」…ああ。そうだなあ。

同じ「思う」について考えるのでも、こんなにまとめ方が違う。うーーん、面白い。

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