BOOKS:LIMELIGHT

読んだ本を、感想とともに紹介していきます。

向田邦子著「隣の女」感想。ただよう色気は、秘密の深さか。

昔読むのを断念した「隣の女」を読み終えた。

挑んだのは20代前半だったと思う。冒頭にミシンが出てきたこと(その頃わたしはミシンを踏みまくる生活をしていた)、最初の展開から心揺さぶられたこと、作品からだだもれる大人の色気に憧れたことが手に取った動機だった。

その時は若すぎたのか、経験が足りなかったのか、刺激についていけなかった。でも引っ越しの度に、これはいつか精神的に成熟したら読もう、と処分せずにいた。

10数年後に読み返したいま、じっくりと味わえた。経験を重ねて魅力が分かる年になったようだ。やっぱり一番に感じたのは人間の「色気」で、体から隠し切れない、匂いたつような魅力を感じる。

これはどこから漂ってくるのか。記憶をたどりながら話してみる。

「隣の女」は5編からなる短編小説で、表題作は舞台化、「胡桃の部屋」はドラマ化もされている。またの著者の最期の作品となった「春が来た」も収録している。

特に印象に残っているのは以下の3作。

幸福

主人公は生まれつきの自分の体臭に悩みながらも、何とか折り合いをつけて生きてきた。今では彼にも恵まれて一安心、といったところに父が倒れたとの連絡がはいる。先が短いのかもしれない。息のあるうちに紹介しようと、彼を連れて父のもとに尋ねる。

ざっくばらんに言うとこんな話で、父の家に行くと姉も到着して…と続いていく。

この主人公は、どうしようもなく不幸体質なのかもしれないと思うのがこの部分。

苦しい毎日だったが、苦しいときのほうが、泣いたり恨んだりした日のほうが、生きている実感があった。

向田邦子著「隣の女」より引用

コンプレックスがそうさせるのか、主人公にはこんな袋小路な卑屈な側面がある。こんな考え方…わたしだった。読んでいくうちにこの本には関係のない、自分のひた隠しにしていたコンプレックスが浮いて出てきて、暴かれてえぐられるような感情になる。

過去のわたしは主人公の様を見て自分の卑屈さに気が付いてしまい、耐えきれなくて読み進めなくなったのだろうと思う。

体臭をテーマにした小説なんて読んだことがなかったけど、これが何とも言えない妖しい色気を発する瞬間がある。哀しいかな、匂いたつという言葉が本当にぴったりで、これも幸せの一つではないのか。と自問する主人公のこれからに頭を抱える。

胡桃(くるみ)の部屋

ひとのために、しなくてもいい世話を焼く。一生懸命やり過ぎて裏目に出る。その分を更に引き被ったりするから損ばかりしている。

向田邦子著「隣の女」より引用

人のために生きすぎてはいけないな、と改めて感じるのがこの作品。

父親が1男2女、そして母を捨てて出て行った。そこから3年、長女の主人公は家のことを何より大事にして生きている。

寂しい日もあるのに、素敵な出会いよりも、心の支えになっている関係よりも、と父の代わりに虚勢を張って必死に歯を食いばって家族を支える。

弟がいう「人の心配をする間に、自分のことを考えたほうがいい」「みんな適当にやってるんだよ」の言葉が、あとあと響いてくるのが辛い。

でもこれが転換期となると思う。主人公も色めきたつ時がくる。その話も読みたい。

春が来た

好きな人の前でつい、お嬢様だと見栄を張ってしまった主人公は、アクシデントで所帯じみた家を見られてしまう。

普通だったらそこでゲームオーバー、音信不通になって終わりとなりそうなところに、この主人公の取った意外な行動が未来を変える。

こうなったら、中途半端はかえって惨めだった。自分の頭を滅茶苦茶にブン殴るように、風見にうちの中をみんな見せて、綺麗サッパリ忘れることにしよう。

向田邦子著「隣の女」より引用

面白い。こんな考え方、自分もしてみたい。そしてその後の展開が、所帯じみた家に春をもたらす。謎めいた魅力があるのはこの風見という男なのか、どうなのか。

転調も含めて、これもまた人生。と思えるような、刹那を味わう桜のような話だった。

ただよう色気は、秘密の深さか

わたしは自分でもなかなかの面倒くさいやつだと自認しているので、社会に出てからは「わかりやすい人間」を心がけている。裏表なく飄々と振る舞ってきたので、これが色気とは無縁な理由だと思っていた(恥ずかしいけど悩んでいたこともあって、だからこの本を手に取ったんだと思う)。

いま読んでみると、色気って「秘密の深さ」なんじゃないかと思う。秘密が多ければいいってわけでもなく、恥ずべき過去/鬱屈した思い/救いのない不幸など、誰にも話すことができないような深さが重要だと考える。

「隣の女」では盗み聞きをする主婦、「胡桃の部屋」では母親、「下駄」は主人公の悩める姿に宿っている。「春が来た」は、最後まで動機がわからない男だな。「幸福」は…もう全員だ。

この妖しい魅力には相当憧れる。モテたいとかはもはや関係なく、人間としてこの属性を手に入れたい。とはいえ恥やコンプレックスならば山ほど持ち合わせているので、わたしにもきっと漏れ出ている色気があるはずだ。

魅力は分かったものの、具体的にどの行動が色気を引き起こしたのかまでは判然としなかった。これから人生経験を積んで、また改めて挑みたい。