まだまだ人生中盤ともいえないけれど(や、明日何が起こるか分からないし終盤かもしれない)、既にたくさんの人や物が目の前を通り過ぎていきました。
別に悲観的でもなんでもなく、生き続けることは失うことの連続だなとじわり思い出す作品です。
「みんないってしまう」は、12編からなる短編集。1編20ページくらいで、かつて月刊カドカワで連載していたものです。
今回、めずらしく「ああ…好き」と思う作品とそうでもない作品と、自分の感想が二分しました。前回のシュガーレス・ラヴでも少しそういうことがあって、ほっとしています。
山本文緒への"好き”が強すぎて盲目的に「いい!」「いい!」って言ってしまうんじゃないかっていう自分への心配が少しあったんですよね。でもそれも杞憂でした。
話したい物語は全部で6つです。長くなっちゃうんで今日はそのうち3つを紹介していきます。
表面張力
(要約)団地に暮らすある家庭の話。夫婦と息子、貧しいながらもなんとか生きていたが、団地の建て替えにともない、家賃が高くなることが分かった。夫は仕事を見直し、さらに諦めねばならないものもある。
貧しいというのは、なんともいえない暗さがある。わたしも、今も昔も裕福なほうではないので、あの独特なかすんだ暗さには覚えがあります。
もちこたえる様を、表面張力になぞらえているのはすごくわかりやすい。あと一滴、という感じが強くて、うすら怖くなるけど…。
幼い息子には、どうか自分で生きる術を身につけて、このループを断ち切って欲しい。せめて息子だけでも…と切実な気持ちになる話です。
愛はお財布の中
(要約)今日は物件の契約日。タクシーで向かう道中、財布がないことに気がついた主人公は、混乱した気持ちのなか、助けを求めに人に会いに行く。
はたから見ていると一目瞭然でも、本人はすごくまじめにこの人はそんなんじゃない、と思っていることがありますよね。
自己理解の方程式って本当にあてにならなくて、でも周りが何を指摘したとしても、それに気付けるのも自分しかいないものです。これからどうなるんでしょう。どちらともとれるラストに感じました。
この主人公はいろいろと価値観が危ういところがあるけれど、状況的にこうするほかないよな~と思う場面がいくつも出てきます。だれでも切羽詰まった時は、道を踏み外す可能性が十分にあるということを示しているのかも…?
アクシデントがあった時、誰の顔が一番に思い浮かびますか?大切さを天秤にかける時、この問いはなかなか効き目がありそうです。
ハムスター
(要約)ハム一家が死んだので、妹が家出をした。学校から呼び出されたハハは、苦手だからわたしに行ってほしいという。一万円くれたし、学校に向かう。
こんな家庭、あってほしくないけどあるんだろう。ノンフィクションなんだろう。わたしはこの危ない家庭で淡々と生活する主人公がなぜだかすごく気になって、むしろ好きなくらいで、まいってしまいました。
ミキは将来スウちゃんを引き取りたいと言っていたけれど、それだけは反対しよう。ミキはきっとスウちゃんに九十五点を求めるだろう。私とハハなら、四十五点の人生でよかったよかったと笑ってあげられる。人様に褒められなければ充実しないような、そんな人生を否定してあげられる。
山本文緒著「みんないってしまう(角川文庫)」より抜粋
ね、こんな考え方の人、とても魅力的ではないですか?でもこの物語を読んだら、いったいこの中の誰についていったらいいのか、分からなくなります。
読み終わった後は呆然としてしまいました。
通り過ぎていったものたちは
生きることと失うことは切っても切り離せないものであって、その都度感傷的になっていては身がもたない。
今回紹介した3つの物語はそれぞれ具体的な人・モノを失ってはいるんだけど、それ以上の精神的な部分も喪失しているところがあります。
何かを失うとき、自分を構成する要素も変わってしまうということなんでしょうか。絶えず何かを失いながら、新陳代謝するように自分が入れ替わるような感覚でしょうか。
または、失うことで欠けた部分を取り繕うように、新たな部品を探してあてがう様なことなのかもしれません。
それぞれの主人公たちには、目の前を通り過ぎて行ったものたちに対して憐憫に浸る余裕はなく、刻々と物語の時間を刻んでいきます。ときおり自分自身に語りかけるような問いが、聞こえたり聞こえなかったりして、胸が潰れるような思いがします。
フィクションだけど、妙に生々しい温度が感じられる作品でもあるなあ。次回は「ドーナッツ・リング」「泣かずに眠れ」「みんないってしまう」をレビューしていきます!