今日は十数年ぶりに再読した、平安寿子著「セ・シ・ボン」の話をしていく。この作品は、著者が20代の時にした留学にまつわるエッセイだ。
表題でもあるセシボンという単語は、フランス語で「素敵」「素晴らしい」を意味する。「想い出って、素敵だ」って本には違いないけれど、著者がそう思えたのは30年近く経ってからだった。
今の自分の感想をうまく言葉にできないのは、十数年ではわたしの想い出はセシボンになっておらず、もう少し寝かせる必要があるからかもしれない。
それでも、わたしはこの作品に出てくる変わった人たちが好きだし、なによりやっぱり平安寿子という作家が好きだ。それに対して「セシボン!」を贈りたくて、今日は書いていく。
あらすじ
勤めていた広告会社を辞め、OLも性に合わなかった。不安を抱えつつも、フランス語が少しできたことから、26歳で単身パリへ3か月の短期語学留学をすることにした。
そこで出会ったのは一風変わった人たちばかり。しかし、呆れたりうんざりする日常の中に、ふと魅力的な一面が垣間見えたりもする。
そんな人たちとの、なんてことあったりなかったりする出来事を回想していく留学エッセイ。
ゆかいな異国の仲間たち
タイコ(著者の本名はタエコだけど、向こうの発音ではタイコになってしまう)が入ったのは少人数制の語学学校で、群像劇をみているような楽しさがあった。下宿先の様子を含めて、印象的だった話をタイトルとともに振り返っていく。
大きな欠点のある男(ドイツ人・レナート)
この作品には芯の強い女の人が多く出ている。(男性は癖があるのが多い)とりわけ下宿先の主人・レナートのかっこよさが際立っていた。
何が魅力かって、バリバリ通訳の仕事をこなすキャリアウーマンってことも、色んな意味で抜けてる夫を支えつつ、空室を下宿に貸し出したりする機転が効くってところでもあると思うけど、わたしは違う。
レナートは、何があっても自分を不幸にしない強さがある。悲劇のヒロインなんて興味なし!そんなことよりも、友人を招いて食事会をしたり、自分の幸せのために時間を使う。
レナートには自分の哲学に基づく色んな語録があって、タイコの胸に、今になって響いてくる。
年はとるものだと、本当に思う。「新しい年には新しい何かがある」と実感したのも、中年になってからだ。
平安寿子著「セ・シ・ボン」より引用
ちなみに、「大きな欠点がある男には大きな長所がある」は、わたしにもまだ判別がつかない。どうなんだろう。
人生はトラブルとアクシデントで出来ている(アメリカ人・プリシラ)
空港のチーフパーサー(客室乗務員を取りまとめるリーダークラスの人)をしている、プリシラの話。
キャリアアップのために通い始めただけあって、意欲も人一倍高い。自分の魅せ方も分かってる。しかし、何もかもが思い通りに見える彼女にも思い通りにならないことがある。それは結婚生活だ。
情が深い彼女は、アクシデントのように結婚してトラブルを抱える今を「もう、なにがなんだか、わからない。どうすればいいのかも、わかんない」と、歌うようにタイコに話す。
そして、笑顔でこの言葉を残して颯爽と歩き出す。
「アメリカじゃ、こんなとき、こう言うのよ。ザッツ•ライフ」
平安寿子著「セ・シ・ボン」より引用
あー、かっこいいなあ!この話のプリシラは32歳とある。とっくの昔にその年を過ぎたわたしだが、50歳になっても60歳になってもこんな振る舞いはできそうにない。
坊やなんて言うな!(ドイツ人・ヘルマン)
ドイツ人で、二十歳のヘルマン。タイコからみたこの人物の印象は言語化されている。
天才は変人で、凡人は真面目。自分を高く買う若造ほどそう思い込み、真面目な地を恥じて、圭角を演じる。
平安寿子著「セ・シ・ボン」より引用
別の言い方もしていて、「冷淡で斜に構えた生意気青二才」。こっちの方がストレートで笑ってしまう。
振舞いにどうも問題のありそうな彼だけど、政治に興味があって、文学や新聞が好きで、書くのも趣味らしい。
クラスで自国紹介をした時に、タイコが兵役について質問した。話が逸れて授業が終わってしまったけど、ヘルマンはわざわざ休み時間に補足説明してくれた。
こういう誠実さって響くよなあ。いつも悪ぶって真面目じゃない彼の、素敵な本性が垣間見える。
ヘルマンに対してタイコが思ったのは「心の弟」。こういう時期、わたしもあったので、同じようにヘルマンがかわいく見える。
他にも、下宿先が同じで嫌な奴なんだけどなんか思うところがあるイギリス人のグラハムや、根性曲がりで恥知らずなノルウェー人のバルゲの話もしたかった。とくにバルゲとタイコの掛け合いがなんともくすぐったくて楽しくて、このエッセイの一つの見どころなんじゃないかと思う。
何者にもなれない不安を抱きつつ、もがく
パリを目指して留学に来る多種多様な異国の人たちは、文化も考え方も違って、それぞれにみんなどこか迷っている。
自分は何を大切にして、何をして生きていくか。自由に選んでいい時ほど、分からない。
著者の周りにいる異国の人たちは、みな迷いがありつつも「迷ってるの、わたし」とは言わないかっこよさがあるのが印象的だった。だけど、一人ひとりと接するエピソードのなかに、迷いや不安が透けて見えるのが伝わる。
何者にでもなれる可能性がある"何者でもないものたち"は、自分なりの方法でもがいている。だから、何か突破口になればと、休暇を使って学校に通うのかもしれない。
想い出は苦ければ苦いほど、味わうのに時間がかかる
実は、再読してから記事にするまで、何ヶ月もかかった。何度も書いてみるんだけど、かたちになっていかない。思うことはたくさんあるのに、だ。
本当なら、わたしがやってきたこと、大人になってから通った職業訓練校あたりのことを振り返って話したかったけど、この思い出は塩味、酸味、苦味あたりがキツすぎて、まだまだまともに話せたもんじゃない。
主人公のタイコはというと、その後ライターを経て小説家になる。たくさんの物語をつくり、何者かになったのだ。そして何十年も経って後ろを振り返り、あの苦かった留学時代をていねいに拾い上げるこのエッセイは、著者自身がこれからどんな風にしていきたいかを改めて考えるきっかけになっただろうなと思う。
わたしには苦い経験が多くて、まだまともに振り返れそうにないエピソードがたくさんある。でも何十年か後にこうして拾い上げる、そういう方法もあるんだなあと思うと、なんだかすごくホッとした。その時、何者かになれていれば…いや、なれなくても。いつかこうして拾い上げたい。
平安寿子作品に感じるセ・シ・ボン
この作品にも色濃く出てるんだけど、著者の作品にいつも感じるのは人への愛情だと思う。人間のダメなところを全くもう!と切り取りつつも、そこには愛しさが溢れている。
それは著者が落研出身だったことも理由にあるかもしれない。人間の弱い部分を、人間らしさとして魅力あるものに変えてくれる。
わたしはこの人が書くものに「セ・シ・ボン!」を贈りたい。20代前半から読んできたけど、わたしはいまだにこの人の書く世界に救われている部分が多くある。