2023年現在、ブログを始めたと伝えたときの反応ナンバーワンは「なんでブログ?オワコンじゃね?」である。今年何度言われたことか。まあ数人にしか言ってないし、繰り返し言ってくるのは家族なんだけど。
確かに、いまどこかに書いておきたいと思うなら断然noteだろう。さらに言うならいまは文章じゃなく写真、動画の時代らしい。やるならInstagram、youtube、TikTok、なんである。
じゃあなぜわたしはブログをやっているのか。振り返ると見えてきた。わたしは2000年代のブログの世界に憧れている。多分、この本の影響が強い。
平安寿子著「恋愛嫌い」は2007~2008年に小説すばるで連載されていた作品で、自分の価値観に忠実なことで、出会いはあるのに恋愛に至らない3人の女性を描いた小説。時事ネタも多くて、ブログを含めた当時の様子がよく分かる。
ここに出てくる二宮翔子という26歳の社会人ブロガーに、わたしは深く共感している。はじめに読んでから10年くらいたってるけど、何度読んでも価値観に共鳴するし、生活を含めて2000年代のブログの雰囲気が味わえる。なんというか、近くて遠い、奥ゆかしいやり取りが何ともいえず好きなんだ。
翔子のブログ「mogの一人で生きちゃダメですか日記」
自分を大切にしたい。それは、いけないことなのか?
自分を抑えて人と生活するよりも、一人で思うままに生きていきたい。翔子は、内に秘めた息苦しさと怒りにも似た感情と共に生きている。文句あるか?とふっかけると同時に、それでいいさと開き直れない翔子の自問自答を、ブログで展開していく。
内容は日々のニュースに対して思ったこと、日頃の悩み、観た映画のレビューなど、いわゆる雑記ブログというやつ。投稿するといろんな考えの人からコメントがつき、反応もさまざまだ。
ブログなら、正直になんでも書けた。(中略)共感もあれば、違う方向からの意見も来る。一人で閉じこもっていたのに、答えてくれる人がいるブログが、いつか翔子の生きがいになった。
平安寿子著「恋愛嫌い」より引用
本体の「二宮翔子」は取り繕ったごまかしの鎧をつけている。ブログの「mog」こそ素の自分だと感じている。飼っている猫のキョロを愛でながら、今日もいろんな人のブログを覗き、自分も書いていく。
翔子はネット空間があってよかったと、心から思っている。これがあるから、適応しきれない現実社会に食い尽くされずにすんでいるのだ。
平安寿子著「恋愛嫌い」より引用
趣味を通じて、深く深く知り合う。でも距離のある関係。
mogには「コブ茶」というブログメイトがいる。お互いのブログにコメントしあったり、個人的にメールでやり取りしたりしている。
二人の共通の趣味は「喜劇映画好き」
mogは社会人になってから海外コメディの世界にのめり込み、映画やドラマを観てはブログに熱いレビューをしている。コブ茶の喜劇好きは相当年季が入ったものでオールラウンド。邦画にも強いので、mogの映画レビューに的確に返答しながら、mogを新たな喜劇の世界に誘う。
二人のネット上での会話は、さわがしくないけど熱っぽい。お互いの考えを尊重しあって、好きな部分を話し合う距離感がすごくちょうどいい温度なんだよなあ。
そして、たまに「中の人」への興味がむくむくと湧いてくることもある。
一体、何をしている人なのだろう。知りたいが、立ち入った質問はできない。当人が語るのはいいが、プライベートなことへの質問はタブー。それがブロガーたちの暗黙のルールだ。
平安寿子著「恋愛嫌い」より引用
暗黙のルールを守りながら、少しずつお互いに知り合っていく。ゆっくりとした往来がなんともいえず、いい。
「記事の中でのアンサー」にぐっとくる
ちなみに2人のやりとりはたまに途切れる。でもそこでプツっと終わるんじゃなくて、アンサーとしての記事がアップされるのだ。
個人に対して、助言とかアドバイスじゃなくて、「わたしはこう考える。」という記事としてのアンサーなのがすごくいい。この距離感がすごく好き。
わたしが好きなコブ茶のアンサーはこの部分。
「大切なのは、自分でいられる場があるかどうかだ。(中略)個人主義者やネットおたくの「自分大好き」ぶりは、世間さまの攻撃の的だけど、ほっといてちょうだい。
平安寿子著「恋愛嫌い」より引用
飾らない本物の言葉に感じるし、コブ茶が自分を鼓舞するような言葉にも感じる。
翔子はこの記事を読んで、わたしもそう思う、ありがとうございましたとコメントしようか、メールしようか、迷ってやめる。
気持ちは通じた。それはお互い分かってる。そこに言葉はいらない、という瞬間が、何度読んでも胸に迫ってこれぞ求める世界…!と思ってしまう。
2000年代のブログは、今より雑多で行き交っていて、奥ゆかしい。
翔子のブログは個人的なブログだし、2000年代とひとくくりにするのもどうかと思うけど、歴の長いブロガーさんの記事を読ませてもらったりするなかでも、交流とか治安とかの面で似たものを感じるんだよなあ。
今よりもっとそれぞれの個性が出まくってごちゃごちゃで、いいものも悪いものも含めて言いたい放題な空気感というか。でもそこに、暗黙のルールだったり、超えちゃいけないラインがある。そこを踏み込むかどうか、推し量りあう二人がいい。
ぐちゃぐちゃなのに奥ゆかしい、ちぐはぐなところが好きなのかもしれない。
そもそも個人ブログって
個人ブログという場所は、好きなものを探求したり、過去の出来事を振り返ったり、嬉しいこと、悩んでいることを吐露する、ごく個人的なスペースだと思う。
大きなネット空間を間借りして、好き勝手に思い思いに話す、基本的には一方向の記事たち。でもそれが時に誰かの目に留まり共鳴して、交流がはじまる。
そこから始まるリアルな関係もあるだろうけど、なんとなく匿名性が高いからか不確かな存在という感じが強い。
誰かとの交流が主ではない、あくまで自分が中心の「閉じかけの交流」なところが、わたしの気質と溶け合うのかもしれない。2000年代のブログの一例としてこの本を読むと、そんな気持ちになる。
2023年現在は体感でいうと、もう少し閉じてる感じ。
2023年の今は、どうなんだろうか?現在進行形でブログをやっている身としては、本にあるような交流はごくごく一部の人たちがしているものという認識。昔よりももう少し門が閉じてる感覚かなあ。
でも閉じてる分、それぞれの世界は深い。そして文化の気配は残ってる。交流の文化は薄まってはいるものの、まったくなくはない。わたしだって2000年代のブログの世界に憧れてるなら、試しにやってみるかと思うくらいには根っこは残っている。
今まで何度かコメントしてみようと下書きすることはあれど、98%くらいの確率でやめちゃうんだよな~。取り繕おうとする自分がいるから、返事といってもいろいろ考えちゃうし。閉じかけの門を開いて、ブログの中でくらいありのままの自分として、えいっとやってみようかとぼんやり考えている。そしたら、mogがコブ茶に出会えたように、自分が自分でいられる場所で、世界が広がっていくのかもしれないのだから。
今日も翔子はブログを開く。キョロに邪魔され、ジム・キャリーに萌え、コブ茶とネット空間だけで交信しながら、世界に呼びかける。
一人で生きているけれど、一人じゃないことを確かめる。そのために。
平安寿子著「恋愛嫌い」より引用
(おまけ)二人をつなぐ映画たち
これはわたしの個人的な備忘録。二人のやり取りの中で出てきた映画を羅列する。3つくらいしか観たことがないので、少しづつでも観ていきたい。
- 邦画
愛のお荷物(川島雄三)、幕末太陽傳、秘密の花園(矢口史靖)、カルメン故郷に帰る(木下恵介)、二十四の瞳、お嬢さん乾杯!、ダイナマイトどんどん(岡本喜八) - 海外映画
トゥルーマンショー、エターナルサンシャイン、アリー my love、フレンズ、セックス・アンド・ザ・シティ、フル・モンティ、ウェイクアップ・ネッド、ウェールズの山、カレンダー・ガールズ、マイ・フェア・レディ、プリティウーマン、ショップガール、ライアーライアー、ライムライト
今日は翔子の話をどっぷりとしたけど、前向き嫌いの矢代鈴枝、あきらめ上手の田野倉喜世美もそれぞれに思うところがあり、もうわたしは何度再読したか分からない。
なんかこう…それぞれに自分の本音をごまかせない不器用なまっすぐさがあって、3人とも大好きなんだよな。表紙が甘々なのがすごい違和感で、わたしは周りの人におススメしたいのになかなかできないでいる。なので今日はネットにぶちまけてみた。すっきりした。