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読んだ本を、感想とともに紹介していきます。

読むので思う。思うので書く。(荒川洋治著「読むので思う」より)

先日の神保町古書祭りで手に入れた、荒川洋治著「読むので思う」を読んでいる。

装丁のデザインに違わず、文章としても肩ひじ張らずに読めるものが多い。

著者が2007~2008年頃に発表したエッセイから66編を収めている。1編あたり3~5ページと短めなので、キッチンとリビングの間のスペースにぼん、と置いて通りがかりに、作業ついでに、という感じでちらほら読んでいる。

本のこと、読書のこと、思考や書くことに関するものがほとんどで、読むうちに考えがふくらんできたので話していく。

カバーがなかったのでとても安かった。これはこれで良い。

読むので思う

週刊朝日」2008年6月6日号に掲載のエッセイ。

読むので思う。やっぱりこの本で一番インパクトがあるのはこの言葉だ。

なんというか、自分の芯に響く。「読むと思う」でもなく、「読むから思う」でもなく、わざわざ読むという行為をするので思うのだと感じる。

本を読むと、何かを思う。本など読まなくても、思えることはいくつかある。だが本を読まなかったら思わないことはたくさんある。

荒川洋治著「読むので思う」より引用

人が書いたものには、その人の生き方、信念が宿る。わたしが見たことも聞いたこともない景色や色・かたちもそこにはある。その空気や波長が、自分にない思いを誘う

この「思いを誘う」っていうのは本からの引用なんだけど、この言葉も響いてくる。何度も繰り返し読んでしまう。

読まないと思いはない。思いの種類の少ない人になり、そのままに。

荒川洋治著「読むので思う」より引用

小説でも随筆でもビジネス書でも、なぜこんなにも渇望する読書への欲があるのか疑問だった。個人的には自分のもつ好奇心や知識欲がそうさせるのだと思っていた。

もちろん知りたいという気持ちは相変わらず強いし、増していく一方にも感じる。わたしが知りえない感情、情景、知識の膨大な波がそこにあるから。

読むことで、自分の思う量と幅が増える。こんな考え方もあるのか。

確かに読む前の本から湧くイメージに始まり、読んでいる最中も読み終わった後も、絶えず何かを思う自分がいる。それは日頃の出来事や悩みなどからは全く違う種類の思考で、わたしの人生からは乖離した世界が広がっている。

幅広く、様々なことに対して思うことで、自分の柱はより強く、しなやかな幹に育つ。そんなイメージが湧いてきた。

読むので思う。思うので書く。

わたしは加えてこう思う。

「読むので思う、思うので書く」のだと。

読んで思ったことに対して考えを巡らせ、書き起こす。まとめることでより自分のものになっていく。万人向けの物を超えた自分専用の知識になっていく。

でもこれで終わりでもない気がする。この先にまだある気がする。読むので思う。思うので書く。書くので…何になるだろう?

まだまだ分かりそうもなく、それはまだまだ読み足りないし思い足りないし、書き足りないということだろうか。無理に何かにつなげようとすると、急に苦しく辛い作業になりそうだ。やめよう。

わたしは今やってるこのブログが面白くてしょうがないことだし、これからものんびり気ままに、相変わらず本を読んではここにあーでもないこーでもないとやり続けてみよう。

なんか、難しいこと考えずにもうそれでいい気がしている。自ずと見えてくるものであって、焦って何かを見出す必要はないんだきっと。

なんだか、たくさん「思う」本

日々この本を読んでいると、たくさん思いを巡らせている自分がいる。

いや、いつもなにかと思うほうなんだけど、ちょっとそれとは別の方向に考える感じ。別の方向に、一歩踏み込んで思索をするイメージだ。

著者は詩作家・随筆家で、書評家でもある。いろんな切り口で書いているからこその視点の違いが、自分の「思いかた」に新たな側面をみせてくれているのかもしれない。

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