読後感はしんどいのみ。決して気持ちのよい本ではない。でも、自分が今まで見てきた景色が違って見える。朝井リョウの「正欲」はまさにそんな本だった。途中、しんどくなりだいぶ減速して、そのうえ元々悪かった体調もさらに崩した。後ろめたい気持ちが止まらなかった。
この物語のキーワードは「多様性」。
多様性とは、ある集団の中に異なる特徴・特性を持つ人がともに存在すること。
近年頻繁に耳にするようになったこの言葉の持つ意味について、一見関係のない6人のエピソードを追うことであらためて考えさせるような内容だと思う。
物語の特徴として、年号の切り替わりと、ある刑事事件の存在がある。これは2つのボーダーラインを示している。
- 「平成から令和へ、これから時代が変わる」転換期のライン
- 「異なる特徴・特性によって、捕まるか、捕まらないか」のライン
年号が変わる以前/以後を時系列順に追いながら、捕まるかどうかの基準でみた場合のアウト側、セーフ側のエピソードが読めるイメージ。
多様性をどう捉える?
読む前のわたしの見解
本音でいえば、「多様性」「ダイバーシティ」これらの単語を聞いてわたしが連想することは「お腹いっぱい」。大事なことはわかる。みんな違って当然だし、それで不当な扱いを受けている人がいるのは問題だ。
でも、あまりにも聞き過ぎてうんざりするようなところもある。みんな勝手にやればいいよ。わたしも勝手にするから。無責任だけどそんな気持ちだった。
「正欲」を読んで導き出した多様性の捉え方
わたしとあなたは、全く別の人間であると自覚すること。変に混ざり合おうとせず、認め合おうとしないこと。
多様性に対して今まで感じていたうんざりした気持ちは、どこか上から目線な気がするからかもしれない。いろんな特性を持つ人を受け入れましょう、許容しましょう、はおかしい。
多数派の人が、少数派の人を認める、というニュアンスじゃなくて、わたしとあなたは、全く別の人間だよね。ということを意識していくもの。
…ここで、わたしのレビューというか、この物語への理解が終わるはずだったんだけど、次の2つの冷や水で目が覚めた。
作中に浴びた、2つの冷や水
<わかったような気になるな>
理解を深めたと思って思考を止めることが一番危険なこと
「お前らが大好きな多様性って、使えばそれっぽくなる魔法の言葉じゃねえんだよ。」(中略)
「自分にはわからない、想像もできないことがこの世界にはいっぱいある。そう思い知らされる言葉のはずだろ。」
朝井リョウ著「正欲」より引用
言葉も人の考えていることも、=(イコール)◯◯、とくくれるものばかりではない。想像もできないようなことがそこにはある。
<人に深く踏み込まなくなることも違う>
本書の中で、マイノリティ側の男が、しつこく心配してくる同じ大学の女子生徒と自らの嗜好について言い合うシーンがある。始めは話が食い違いすぎて見ているこっちも辛かったんだけど、そのやり取りの中で男の中にほんの少し、心境の変化が起こる。
分かり合えないからって、はじめから何も話さなくなったらそれこそ何も始まらない。どちらかが一歩踏み込んできて、お互いの価値観をぶつけ合うことで視野が広がりかけた瞬間だった。
終盤のこのシーンで「人の心をわかった気になるな。世の中には想像もできない世界があると気がつけ。でもその答えは、人とその手の話を一切しないってことではないからな」と安易な道を見つけて逃げ込もうとした自分の退路を断たれたような気分になった。
知見を広げる必要がある。
人は自分の想像の範囲でしか物をみれない
人は自分が分かる範囲でしか、物をみようとしない、というか見ようがないんだ。
物語の最後、「アウト」「セーフ」のラインがよくわからなくなる。そしてそのまま終わる。その曖昧さが世間であり世界だと思う。
わかってないんだ。わかったような気がしても、それはおそらくおごりだ。相手のことを知ったような気になってなっているだけだ。知ろうとして、結局のところ分からない。その繰り返しだ。
だからこそ、たくさんものを見て、聞いて、話して、いろんなことを知ろうとする努力が大切なんだろう。そこをおろそかにした瞬間、独りよがりな人間に堕ちていく。
一方で、相手のことを理解できないことがあってもいい。無理に理解しようとしなくていい。「わかります、それ!」「わたしもそう思ってました!」よく使うこの言葉に要注意だ。
この解釈すらも間違ってることがきっとある。でも、これがこの本を読んで、今の自分がもがいて出した結論だ。
日頃自分の心地の良い読書だけでなく、こういう1冊まるごと問題提起をぶつけているような本を読むことも大切だと痛感した。辛くても、体調崩しても、これからも読んでいきたい。
(この本は、Audibleで聞きました。)
↓追記あり。