昨日話した佐藤愛子著「死ぬための生き方」の後半レビュー。最後の「こんな死に方もある」という章では、亡くなってしまった何人かの作家について、著者が印象に残っていること、かつての交流の様子が描かれている。
今日はその中から、著者の古くからの友人・川上宗薫について話していく。この人物、不思議な愛嬌があって、迷惑だったり鬱陶しかったりするのに憎めないところがある。
作家として注目を集めるも、同じく作家の友人との断絶などに苦悩する宗薫の姿、それを間近でみる佐藤愛子の思いが交差して、何とも言えない気持ちになった。
川上宗薫の半生
まず、一般的にいわれている宗薫の印象をみていく。Wikipediaと本の内容をあわせて、下記にまとめてみた。
牧師の息子で、長崎原爆で母と妹を失っている。学校卒業後は教師を経て、小説家として活躍する。
作風は心理描写を得意とし、芥川賞ノミネート5回と、純文学の色が濃い。親しかった作家の友人(水上勉)と仲違いし、一時は作家生命を絶たれる。しかしその後、大衆小説の分野で返り咲き、官能小説を多数輩出して一世を風靡する。
原爆で家族を失う経験は、作品にはほとんど取り上げなかったという。また、純文学から官能に、真逆といっていいくらいの転換を遂げている人はなかなかいないんじゃないかと思った。
佐藤愛子との出会いと交流
私には一人の賢兄と二人の愚弟がいて、賢兄は遠藤周作、愚弟は七年前(昭和六十年)に私を遺してあの世へ行ってしまった川上宗薫と北杜夫である。
佐藤愛子著「死ぬための生き方」より引用
宗薫とは同人誌「半世界」の会で出会うも、文学評などをしあう仲ではなかった。それは彼が軟派で、暇さえあれば面白くもない冗談を飛ばすような人物だったから。しかし、そんな彼は純文学で人気を集めている作家でもある。そのギャップがミステリアスな魅力に映った。
二人の間に流れる空気は、自然で普通な感じなのが心地いい。宗薫が友人と仲違いしている時も、出版社に一緒に行った時も、なんだかんだ心配してる親族のような、捨て置けない著者の心情を感じた。そう言う感情を親族以外に持てるのっていいな。
ミステリー作家Mとの確執
次に宗薫と仲違いをしていた、「作家のM」こと水上勉との間にあった確執について触れていく。
発端は宗薫が書いた小説で、急に有名になった友人作家への複雑な心境を描いた作品に水上が激怒した。宗薫としては、自分のくだらない卑しい感情をメインに描いたはずが、向こうからみれば驕り高ぶった人間と表現されたように感じてしまったということだ。
表現することの危うさ
ここの部分を読むと、自分も危ういな…と思う。何かを表現するために、比較して上げたり下げたりすること、あるな…
ついこの間、人にフリーペーパーの魅力を語るタイミングがあった。その時「あの役に立つんだか立たないんだか、よくわからないところが好きなんです」って言ったら、相手がフリーペーパー作っててめちゃくちゃ失礼になってしまったことがあった。ただ豆知識っぽいところが好きって言えばよかったのに…反省している。
謙虚なつもりでもだめなんだ。ここはよくよく考えさせられた。
ちなみに、仲違いの発端になった宗薫の小説が「作家の喧嘩」、それに対する報復とも取れる水上の作品が「好色」、この仲違いの様子を描いた佐藤愛子の小説の題が「終わりの時」。全部作品になってるのがすごい。
川上宗薫の死に方に思うこと
佐藤愛子を通じて川上宗薫を見ると、大きな孤独を抱えたまま宗薫は逝ってしまったように感じる。
気心が知れているからこそ、話せないこともある。二人の距離が決定的に離れた瞬間は切なかった。でも最後まで読んで、あんなふうに振り返ってもらえたら、もうそれだけですごくいい人生だなあと思ったりした。
間違いばかりだって、人に深い感情を思い起こさせる人生っていい。だれかを傷つけるのはだめだけど。どん底でも諦めちゃわないで泥臭く生きて、生ききった彼は輝いて見えた。
それでも官能小説は読む気にならないかな…食わず嫌いかなあ、筒井康隆が感動で寝られなかったという純文学作品「夏の末」は読んでみたい。