オードリーの若林正恭が書いた「ナナメの夕暮れ」を読んだ。37~39歳にかけて、ダ・ヴィンチに連載していたエッセイだった。
M-1準優勝を経て、芸能界に本格的に入ったのが30歳。そこから第一線で活躍し続け、自分の性格からすれば馴染めるはずがなかった「芸能界」という特殊な社会に慣れつつあるなかで書かれているのが特徴だと思う。
内容は、中年に差し掛かるにあたって、過去の自分と対峙する感じ。過去の清算のようなことって、こんな風にみんなしているのかな。わたしも日々、ブログでこれまでのことを書き出して自分なりにまとめたりしてるので、なんだか励まされる気持ちになった。
それと同時に、自分の中にある鬱屈とした気持ちに思いがけず再会することになった。さあ、これからどうやってけじめをつけていこうか。
まずは著者が構築した考えの組み立てを参考にさせてもらおう。最も心に響いた「2009年と僕と」というエピソードを紹介していく。
2009年とぼくと
あるコンテストの舞台袖の話。少し物語チックな構成になっている。
「2009年」というのはオードリーがブレイクした年のこと。あの頃の自分が必死で描いていた「理想の自分」はなんだったのか。出番前に思い出している。
才能、彼女、お金、いろんなものを求めてきた。でもそんなことは超越したような顔で精一杯の虚勢を張って生きていた。
理想の自分にずっと苦しめられてきた。(中略)
上には理想の自分がいて何とか追いつこうとしている。理想の自分は、等身大の自分の上昇と共にさらに上昇する。だから、追いつかないどころか差はどんどん開く。下を見る。転落したら確実に死ぬ高さだ。常に怯えている。
若林正恭著「ナナメの夕暮れ」より引用
読者のわたしは大した高みにのぼったことはないけど、著者を通してみると寒気がする。あそこまでブレイクして、そこから落ちぶれてしまったら…そのプレッシャーの中で生きていくのはすごく大変なことだったと思う。
理想の自分の殺し方
少し進んで、出番の直前。「ぼく」は閉じこもっている「2009年」を引きずり出してこう言う。
「君が理想とする自分と、今から出ていく自分。どっちが得か見ていろ」(中略)
帰ったきた時にもし僕の方が得だと思ったら、理想の自分を一緒に殺しに行こうではないか。
若林正恭著「ナナメの夕暮れ」より引用
人間は得があることじゃないとなかなか進んで行動しない。なら、いまのぼくと2009年の君で、君を苦しめた「理想の自分」を殺す得をつくってしまおうというのだ。
この考え方がすごく好きだったな。やっぱり、殺すくらいの気持ちがなくちゃ、理想という化け物には太刀打ちできないと思う。
そして全てが終わった後、「ぼく」は等身大の自分に帰っていく。未来の理想化された自分を生きるのではなく、今日の自分を生きる選択をする。だってそのほうが気楽でユニークでしょ?
…これ映像化してもいいんじゃないかな。わたしは見たい。もしかして既にしてたりする?たりないふたりとかも見てないから、確かめる必要があるかも知れない。
わたしの「理想の自分」
次は、わたし自身のことを考えてみよう。
ずっと思い描いてきた将来の夢とかはなかった。でも、現実を生きていたかと言われれば全くそんなことはなく、ここではないどこか別の世界をつくって、ずっと息を殺して潜んできたような気がする。
理想の自分ならあった。賢くて、やさしくて、勇敢で、美人で、要領がよくて、社交的で。状況によってころころ変わるので、変幻自在の得体の知れない化け物のようにも感じる。
結論は著者のように、やっぱり今を生きることになるんだろうか。まだはっきりとは見えないけど、ほんの少しわかってきている。
わたしは経験がしたいのだと思う。いろんな世界を知りたいんだ。失敗してもいいから、何か得ようとしている。過去のわたしにいま言えることがあるとすれば、「かっこ悪いと思うんだけど、見てて。絶対何か得るものがあるから。」だと思う。
そして過去のわたしは、理想ではなくわたしを選ぶと思う。今まで好きになった漫画、小説、映画の登場人物は、圧倒的にそういう人だったから。一緒になぎ倒していきたいな、無数にいる「理想の自分」討伐のイメージはかなりワクワクする。
ただ、わたしの答えは「誰かと同じように」ではないんだよな。こればっかりは自分で組み立てなければ意味がない。わたしはわたしの素材で、言葉で考えを組み立てないといけない。
こうやって書いておくことに意味がある
文庫版の後書きには、さらに3年後、42歳の著者がいる。考え方はさらに変わって、なんだか角が取れて余裕が増している。
わたしは3年後、ブログやってるかな。続けていたら、きっと今書いてることを「うわー恥ずかしい。よくこんなことを…」とかいいながら、著者がそうだったように、過去をどこか愛しげに見てくれているはず?だ。
昔リトルトゥースだったこともあり、オードリー若林の本をいつか読んでみたかった。いきなり3作目を読んじゃった訳だけど、今の自分の年齢ともリンクするこの本でよかったと思う。
ちなみに、この本には「理想の自分」の他にもう一つ「ナナメの殺し方」が記載されている。
なんでも斜に構えて捉えてしまう自分の視点フィルターの汚れを取り除くため、30代半ばでこんなことを…といいながらも物事を肯定する練習に取り組んだ著者には尊敬した。
こうやっていくつになっても、自分の課題を洗い出しては解決しようとする柔軟さがほしい。そして、編み出した独自の解決方法で、自分を救える人になりたい。