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読んだ本を、感想とともに紹介していきます。

【見仏記 読書レビュー】みうらじゅん、いとうせいこうの正反対な思考が覗ける紀行文

仏像にそこまで興味はありませんが、いとうせいこうの「ラップと小説」、みうらじゅんの「講義と思考本」が好きです。

見仏記は長らく積み本していて、今回2週間かけてちまちま、でもじっくり読みました。同じ”仏”を見ながらも全く別の思考をもつ二人の掛け合いが興味深かったので、レビューしていきます。

見仏記はこんな本

まずは本の概要から。京都出身のみうらじゅん(以下みうらさん)は小学生の頃から仏像に魅せられ、スクラップブックに拝観チケットや感想の書き込みをまとめていました。それを嬉々として友人のいとうせいこう(以下いとうさん)にみせたのがこの紀行文のはじまりです。スタッフ1~2名を連れて各地の仏像を見に行き、絵をみうらさん、文章をいとうさんが担当して中央公論で連載。約1年後にこの本が出たという流れです。

「見仏記」はもう10冊近く本が出ていて、7冊は文庫化しています。これはその原点となる1冊目で、かなり古く1993年発売…ということは30年前!みうらさん35歳、いとうさん32歳の時の本だと思うと、今の自分と歳が近いので親近感がわきました。

「仏を見る」なかで見えてくるふたりの思考パターン

京都・奈良はもちろん、東北や福岡まで足を運んだりして各地を巡るなか、二人は「仏を見る」という一緒の行動をしているようで、考えていること、”見仏”して連想することがまるで違うのが興味深くて面白いです。ここでは両氏の物の見方や思考アプローチ方法が垣間見えた部分を紹介していきます。

みうらさんの考え方
  • 仏像を見て「当時の人の気持ちになる」
  • 見仏スタイルが独特。観音像を前にして畳に寝転がり、本尊に足を向け仰ぎ見たり、立ち並ぶ仏を小走りで移動しながら見ることで”仏像メリーゴーランド”の世界を体感する…など。
  • 仏がボロボロなのは教えかも。「お前もいずれこうなるんだぞ」ということを言いたいのではないかと想像する
  • 東北の仏はパースに狂いが生じているんじゃないかと説く。(奈良・京都の仏像を下から見て書き写し、東北に持ち帰ることで仏像の下半身が大きく、頭部が小さくなったんじゃないか)
  • でかい仏が好き。好きな仏には饒舌になる傾向がある…気がする。
  • 現在のみやげもの店の様子など、記録をよくとる。
  • 見たものに対して独特な分類をして覚えていく

みうらさんの仏へのアプローチが独特なのは、幼少期から仏のスクラップをしていくなかで自然と多面的な見方ができるようになったからなのではないかと思いました。

本の中にスクラップブックの一部が載っているんですが、びっしり書き込んであり熱量がすごい!あと当時の人になりきって一句詠んだりしていて、物事に対して自分なりの解釈をしていくのは昔から変わっていないみうらさんの特徴な気がします。

いとうさんの考え方
  • 仏像から連想し、観念的に捉える
    ー修学旅行や観光と仏像が結びついたのはなぜかー
    ー九州に仏教文化が根付かなかったのはなぜかー
  • みうらさんの見仏スタイルに驚きつつも、自分もいつのまにかその行動をとっていたりする
  • いつも冷静に、物事を理論化しているが、好きな仏を前にすると魅了されて動けなくなる

文章担当がいとうさんなので、やはり自分自身の描写は少なかったです。いとうさんは目で見て、みうらさんと会話して、そこから連想していろんな展開を考えるところが印象的でした。

あとは頭のなかで「いや待てよ…?」と別の事柄を引き出して検討を重ねるところが、わたしの思考法と重なり嬉しくなりました。”みうら派”と”いとう派”があるとしたら、わたしは完全に”いとう派”の人間です(そんなのないけど)。

見仏するなかでお互いも「見る」二人

紀行文は終始、突拍子もないみうらさんの言動と行動をハラハラしながら見守るいとうさん、みたいにして進んでいきます。内省的ないとうさんは、旅の中でみうらさんをこのように表現して自分を再認識します。

彼はいつでも現在に生きていて、瞬間瞬間に集中することが出来る。観念に逃げ込むことなく、事実を感じることが出来る。やっぱり絵を描くべき人だ。そして、私は結局文章しかかけない人間である。

対してみうらさんは、いとうさんに対して意外な発言をします。

「実は伊藤さんの方が思い入れ激しくて、そんで突っ走ってたって気づいてないでしょ?」(中略)「ほーら、わかってない。いとうさん、分析とか始めると止まらない自分に気づいてる?俺の方がアンバランスに見えるんだろうけど、本当はいとうさんの原稿のバランスをさ、いっつもイラストで取ってたんだよ」

そしてみうらさんは、いとうさんがいつも冷静なつもりでいることを面白がり、無自覚で狂っているところが好きだ、といいます。

それに対して「あ、どうもありがとう」と素直になっちゃういとうさん。こんな二人の間柄がすごく好きだなあと感じました。

芽生える二人の絆もいい

仏像はインドから伝来して来たもの。みうらさんは今の日本人が仏像に抱くイメージを”ベンジャーズみたい”と例えます(この例えは正直わからなかった)。

この意味は、「日本人は海外スターが何度も来日してくれると喜ぶけど、いざ日本に住むことになると急にダサく感じて軽んじるところがある」ということだそうで、こういうところは確かにあるな…と思いました。

いとうさんはこのことを廃仏毀釈に例えて、「私はこの人(みうらさん)を廃仏毀釈するような人間にはなるまい」と決意する…ここに絆を感じました。

あとこれは一番ぐっときた部分。

二人ははじめの見仏ツアーで「三十三年後の三月三日、三時三十三分に三十三間堂の前であいましょう」と約束を交わします。はじめの見仏ツアーから1年後に本が出て、それから30年がたったから…そう、約束の時まであと2年なんです!

どうか二人ともお元気で、2年後にあの時の約束を果たし、三十三間堂の前であって欲しいなと思うのでした。

人生の中で、こんなふうに一つの物事を深める相棒的な人がいたらすごく豊かになりそうですよね。もちろん一人でだって、深めたいものがあるだけでしあわせなことですけど。みうらさんみたいに、日頃から自分なりの好きな気持ちをまとめておいて、チャンスがあったら積極的に周りの人に話していくのがいいのかもしれません。