BOOKS:LIMELIGHT

読んだ本を、感想とともに紹介していきます。

新たな試みに情緒不安定はつきもの【創作の先輩方を観察する】

最近は色々と新しい試みをしている。1月はZINE(ぽいもの)をつくり、2月はブログのロゴをつくった。

新しいことをするとやっぱり当たり前に不安定になる。今まで出来てたことができなくて泣きたくなったり、全部が無駄に感じたり。誰かに弱音を吐きたくなる。

情緒不安定は自分も周りも辛いので、今後も続けるであろう新たな試みをどんなつもりで乗りこなしていこうか、そんなことを考えている。

そもそも情緒とは?

事に触れて起こるさまざまの微妙な感情。また、その感情を起こさせる特殊な雰囲気。

goo国語辞書より引用

うーん、まさにだ。そりゃ今までにないことをしてるんだから、今までとは違う感情が起こるのも全然不思議じゃない。むしろ感情が豊かになってとても良いことだ。問題は、それが原因で不安定になって振り回されてることだ。

そこで、最近読んだ本の中で「たくさん創作や探求をしていて、揺れ動く情緒を乗りこなしているようにみえる人」を3人選んでみた。それぞれにどんなアプローチをしているか、作品を通じて観察しながら振り返ってみる。

ナガオカケンメイの考え」

グラフィックデザインをはじめ、D&DEPARTMENTの経営、その他さまざまな企画などを常に同時進行しているナガオカケンメイの、2000〜2005年頃の日記をまとめた本。

イメージでいうと「超感覚派なデザイナーの先輩と、帰り道軽く飲みにいった時に聞けたこぼれ話」的な一冊。ちょっと説教臭いときもあるけど、帰り道は真顔で考えてしまうような話が多い。

たいていの人はそんなに深く考えていない。「やりたい」とか言っても、本当になんて考えていない。本当にやりたいと思っていたら、やっているもの。なんだかんだ理由をつけて、やらなくてもいいよう正当化している。くだらない。(P.166)

なぜ、生きているか。それは「何かを試すため」なのではないか。(中略)会社に入って、いろんな環境にいて、「自分のしたいことができない」とかボヤく前に、自分と向き合うと、究極は「自分のやりたいことを試す」ことが、人生のような気もしてきた。(P.216)

ナガオカケンメイの考えより引用

この人に今の悩みを相談したら。このことを言ってくれるんじゃないかな。少なくとも、わたしはこの文章で、ですよね。やってみないと、しかもやりまくってみないと、何にも見えてこないっすよね。って納得した。

この人は理屈で積み上げず、子供の心をそのまま持った大人に感じる。だから、情緒が不安定な時も結構あると思う。それでも基本行動が「動く」なので、内面が揺れてようが不安で押しつぶされそうになろうが、動きまくる。そして結局は動くことで解決に至る。そんな流れを感じる。どこまでも主人公な生き方に憧れる。

「自己流園芸ベランダ派」いとうせいこう

著者はラッパーにはじまり口ロロ大好き!)、作家、タレント、とにかくなんでもできる人というイメージがあるけど、ベランダーという肩書きも持っている。この本は朝日新聞での連載を書籍化したもので、自分が住むマンションのベランダで日々植物を愛でていく様子が描かれている。

ベランダ園芸の面白さはこの"試しては枯らし、枯らしては試す"ところに存在する。(P.227)

いとうせいこう著「自己流園芸ベランダ派」より引用

枯らしてもせっせと新たな鉢を求めて奔走し、世話する。無常な日々を、写真ではなくて文字にして残しておく。わたしが今やっていることも、咲かせようと励んでは枯れていくような日々に近いかもしれない。そんな日々を、制作物だけでなく、書き残しておくこと。後々とんでもない黒歴史と化してしまうかもしれないこの作業にも、意味があるような気がしてくる。
この人から感じるのは「いろんな場所を持つ」ことの大切さ。音楽をやり、文章を書き、植物を世話する。それぞれに打ち込んで発信する。それが不安定の逃げ場所にもなっている気がする。そういうことを意識しないでやっているようにみせるのが、すごくかっこいいな。文章では淡々としているけど、本当はすごく熱い人なんじゃないかって思ってる。

ダンジョン飯」久井涼子著

今期のアニメで、静かにハマっていったマンガ。わたしはここに出てくる「センシ」というキャラクターがとても気になっている。

ダンジョン飯 14巻 (HARTA COMIX)

↑この真ん中のヒゲの人。

ダンジョンで長く生活しているドワーフで、センシの名はドワーフ語で「探究者」を意味する。彼の探究する先はダンジョンの「食」に関する物事。モンスターや植物、それらの料理にまつわることに興味・関心がある。

センシから感じるのは名前の通りの「探究心のものすごさ」と「動じなさ」。

すでに探究をある程度してからダンジョンのパーティーに加わっているので、彼の初期の探究は見ることができない。初期の頃は、たくさん失敗したり迷ったりしたんじゃないだろうか?それをたくさん乗り越えたからこその今の様子なのか、それともそんなこと考えるでもなく一個一個にまっすぐに向き合ってきたんだろうか?(ただのこういう性格、というパターンもあるか…?)

センシをみていると、探求心に身をまかせ、とにかくやり続けたらあの境地にたどり着けるのかもしれないと希望がもてる。その分こり固まっちゃってるところもあるんだけど、それを上回る魅力が彼にはある。マンガも読み始めた。もっと話したいので、多分また話す。

結論:静かに、淡々と、時には逃がしつつ、やり続けることか

うーん、三人の様子を見ていると、それぞれに淡々としたところがあるな。あわてず騒がず、黙々と探求している気がする。そしてずーーーーっとやり続けている。おそらくこれが大きい気がする。

いまみたいに、やることなすことに感情を揺さぶられてうわー!!!ぎゃーー!!ってなってると、面白いし楽しいけどすんっごく疲れる、生活するのも精一杯だ。こういう時代が先の3人にもきっとあったのだ。そしてやり続けた先が、いまのそれぞれの魅力的な姿なんだ。

今はその途中なだけ、そんな結論に至った。うん、やり続けよう。静かに、淡々と、時には逃がしつつ、やり続けること。大切なのはそういうことだ。

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