山本文緒著「自転しながら公転する」は、介護、老い、恋愛、仕事と多方面に悩む主人公の苦悩を描いた長編小説。前回は全体の内容について話したので、今回は主人公(都)の母親、桃枝に焦点を当てていく。
というのも、病気になって自分が別の人間になってしまったように振り回されてしまうところ、後半では自分と家族の現状をしっかり見つめ、生活を練り直して再出発を果たしたところに胸が熱くなったからだ。
桃枝目線でざっとおさらいすると、この物語の発端は、桃枝が体調を崩したことにある。昔は主婦として家庭を支えていた桃枝は重い更年期症状を抱えており、一週間寝たきりなんてこともあるような辛い日々を過ごしている。
体調を崩した当初は夫が休職して支えてくれた。復職した今も、日頃の料理やら家事やらは夫が担当していてくれている。病院の送り迎えなどの関係で、一人娘の都は実家に戻り、正社員ではなく時間制契約社員を選んでくれた。でも。
彼氏もできて楽しそうだけど、将来についてきちんと考えているのだろうか。そもそもわたしの病気はよくなるのか。夫との老後はどうなるのか。心配は尽きない。
体調を崩すと、世界の見え方が変わってしまう
価値観が変にぐらついたのは、体調を崩してからだ。山本文緒著「自転しながら公転する」(新潮社)より引用
安定してきて病院に一人で行けそう、と思ったらまた寝込んでしまったり、たまに少しマシになって友人と食事に行っても、突然のホットフラッシュや情緒不安定に襲われて涙してしまうなど、一進一退を繰り返す病状には辟易している。家族も同じ思いと思うと心が痛む。
夫は辛い時、休職して支えてくれた。いまは残業しない部署に異動してまで家のことを引き受けてくれている、のに。娘は正社員で働いていた会社を辞めて、アウトレットモールで非正規社員になってまで送り迎えしてくれている、のに。
自分のコントロールできない病状に苛立ち、次第に心が卑屈になっていく。
…こんな状況になったら、わたしもきっとそうなるだろう。人に心配や負担をかけること、自由を奪うことに、途方もない罪悪感を感じる。
大きな病が人を変えてしまうのは、その人がもともとそういう人だったんじゃなくて、病気が価値観をゆがませて、そういう行動を誘発してしまうからなんだよな。
身の回りの人のためにもそんなことはしたくない。しかし揺らがない心でいられるだろうか…そんなことを考えながら読み進めると、転調する。
夫の限界に、妻は点検し、思考する。
ある日、夫が倒れた。ここで彼女は我に返る。
夫を見て、娘を見て、友人の言葉を聞いて、一歩引いた目で価値観を見直したときに見えてきた。渦中にいる時には見えない、少し離れてみないとわからない今の自分の状況。
過去に考えた幸せの価値観にしがみついて、いまの環境との歪みができているのではないか。
この歪みをなんとかしようともがいた結果、無理が生じて病気を招くのではないか。
桃枝は夫に任せきりだった家計の点検を始める。思ったより少ない貯蓄に、横ばいの給料に驚きを隠せない。でも、夫はそれでも踏ん張って耐えていた。
夫に対してどこか甘えがあった自分を直視した。無理が生じた原因は、自分たちの古い幸せの価値観にあると考え、思考を重ねる。夫の話し合いも重ねて、自分たちの人生をリサイズする決意を固める。
この気づきと決意に、わたしは心掴まれた。病気っていうのは、自分の思い描いたものと、自分自身のいまの環境のひずみなんだ。すべてじゃないけど、これが原因なこともたくさんあると思う。
そして身体が悲鳴をあげたら、生活を点検して練り直す。人生をリサイズしていく。桃枝と夫のように、いくつになっても方向転換できる柔軟さと、弱い自分を受け入れる謙虚さを持ちたい。
生活をダウンサイジングする勇気
人それぞれとはいいつつも、人生とはより高みへ進み続けなければいけないと思っているところがあった。必ずしも繁栄し続けたり、発展を目指し続けなくていいのだ。
世間で「一般」とくくられている人生のロールモデルは今は夢の如しの高みだ。自分サイズの生活は、SNSでも本でもなく、自分にしか分からない。いろんな情報は参考程度に、自分で考えて、ときには大切な人と話して試す。その繰り返しで自分のサイズが実感できる。
日頃の自分たちに無理がなくて、老後の心配が少ない生活に。ときにはダウンサイジングもありだと桃枝をみていて自然とそう思った。
人間はいくつになっても変われるものだな。両親は生存戦略を練り直したんだな。
山本文緒著「自転しながら公転する」(新潮社)より引用
親の報告を一歩引いて見つめる娘の目は、思いのほか優しい。
実写ドラマ化、楽しみにしています!!
12月14日(木)、21日(木)、28日(木)のいずれも23時59分から。