全14巻、読み終わった。「ダンジョン飯」という作者のダンジョニウムを、存分に味わった。
そこに救われた自分がいた。いろいろ話したいんだけど、なぜかいま自分を満たしていることがこれで。今日は完全に、なんというか、妄言強めなので適当に読んでほしい。
根本的な話の流れは前書いたのですっ飛ばして読後感をはなす。めちゃくちゃネタバレする。
キャラクターが全部自分の中にいる
不思議な気持ちになったのが、出てくるキャラクターは全部自分の中にいるような気がしてきたところだ。
次第にこれは作者のダンジョニウムであって、作者のこれまでがつまった世界なのではと思えてくる。まあ、どの物語も多かれ少なかれそうなのかもしれないけど。
最終的に自分だと思ったのはライオス
前の記事でセンシの生き方に憧れるって言ってたけど…最終的にこれは自分かと思ったのはライオスだった。
自分の好奇心に任せて話した結果、振り返るとみんなポカーンとなっていたこと、絶対みんなあると信じている。
わたしは特に10代までこの経験がちょいちょいあった。その度に「修正」を重ねて今の姿になっているわけだけど、自分の面白い!と思っている気持ちを信じていればライオスのようになれたかもしれない。自分なりの答えを見つけ、理解までいかないにしても、共に生きる仲間ができたかもしれないと思う。(ただし、方向性は別の話。自分が好きなものが大抵の人は嫌悪感を示すものだった時の絶望は…計り知れない。)
誰かと分かりあえないのは辛い。でも、自分の好きな気持ちを信じて進んだライオスはやっぱりかっこいい。かなり危うくはあったけど。あの時周囲に同調することを選んだわたしは、いまだにあの時の好きな気持ちとその対象がよく思い出せないでいる。あの時置いてきた気持ちと、ライオスがすごく共鳴している。
カブルーが苦手な原因
カブルーが好きな人に申し訳ないんだけど、どうもこの人が苦手で。人のことをすごい観察して話の仕方を変えたり、目的のために思ってもないことを言ったり、うまいこと同調して器用に立ち回る姿を見てるのがしんどかった。人を誘導しようとするような振る舞いも。
…というのも、わたしが社会に出てすごく長い時間をかけて育てたのが、このカブルー的振る舞いだったから。わたしが得たいものは、これじゃなかったんだ。それを証拠に、この振る舞いで出会った人たちとは、現在全然親交がない。小手先ではダメなんだ。ちなみに、カブルーはそういうことをするのが好きな人だから、うまくいく。
ライオスとカブルーの関係性に涙
でもね、最後の方でその胸のつかえが取れる。世界が変わった後、ライオスの側近?になったカブルーはライオスの苦手な社交をイキイキとこなしてくれてるんである。
その事実を知った時、なんかバァーーーっと涙が出てきた。「好奇心」のライオスを「観察・調整」のカブルーが支えてる構図に、自分が重なってしまった。
自分の忘れてた好奇心を動きやすくするために、長い間かけて育ててしまった無駄なスキルが生きるかもしれないと言う希望を得て、救われた。読み終わったいまは、カブルーへの嫌悪感が消えて、苦いような懐かしいような感情に変わっている。
「ダンジョン飯」というダンジョニウム
勝手に解釈して勝手に救われたあとのわたしは、桜を見ながら呆けている。最終的に、やっぱり「ダンジョン飯」という物語は作者が作ったダンジョニウムなんだと感じた。
クライマックスに向けてわっさわっさとみんな駆け回って、最後はファリンのダンジョニウムみたいにドカーンって世界が爆発して…空がきれいだった。
現実世界でも、自分の中にある抽象世界でも、世界を創造することがダンジョニウムであるならば。この世はダンジョンで溢れてる。
わたしのダンジョンは?あなたのダンジョンは?そんな気持ちで満たす世界は、好奇心と欲望で満ちている。
いやーーーーーーーー、楽しかった!!!!
これが気になっている…!あとラクガキ本。ほしい。