あまりにも悲しいことが起きて、もう一生立ち直れないと思っても、時が経つにつれまた立てるようになる。それもまた悲しいことだと感じる。
昨日に引き続き、吉本ばなな著「キッチン」のレビューをしていく。今日話すのは最後に収録されている「ムーンライト・シャドウ」。この作品は2021年に小松菜奈主演で映画にもなっているみたい。
主人公が走る早朝の風景と、グラデーション状に描かれる悲しみが朝もやみたいにいまも漂っている。
(ふわっとした)あらすじ
4年の時を過ごしてきた彼はもういない。会おうと思っても、それは叶わない。事実を受けとめては、いる。
大丈夫、大丈夫、いつかはここを抜ける日がやってくる。(P.153)
吉本ばなな著「キッチン」より引用
そう自分に言い聞かせながら、今朝も"あの橋"に向かって走る。
夜は明ける、悲しみもまた
真昼にこうしてふと思い出しても、泣かずにいられるようになったことが、妙にむなしい。(P.178)
吉本ばなな著「キッチン」より引用
悲しみに暮れている時というのは、その悲しみの対象とまだ一緒にいられるということを意味するのかもしれない。
同じ悲しみを共有する人と話したり、言葉で表現できないような体験を経て、主人公は夜が明けるように少しづつ現実に戻ってくる。それは悲しみの対象との本当の別れでもある。
この切ない事実に、胸が苦しくなる。
悲しみはグラデーション
この物語の情景はなんともいえない美しさがある。例えるなら、自分の視界に一枚のトレーシングペーパーをかけたような感じ。深い霧のなかで、思い出が、人の思いが、なにもかもがうすぼんやりと浮かんでは、近づくと消えてしまうような虚しい思いを感じる。
物語のシーンでいえば、早朝の澄んだ空気のような感じだ。終盤にかけて、それがだんだんと現実世界の色鮮やかさを取り戻していく。最後の2ページが、もう、何度読んでもこみあげてくるものがある。最後の最後すぎて、さすがにここには載せられない。有名な作品なので、全国どの図書館にもきっとあるだろう。本当に素晴らしいので、是非読んでほしい。
わたしはこの部分を読むたびに、心に爽やかな風が吹いて、自分が透明になってしまうような寂しさと力強さを感じる。頭の中の空気が入れ替わって、しゃんとする気持ちになる。
そうか。うすれゆく悲しみにかける言葉は、「ありがとう」なんだな。消えてなくなってしまうんじゃない。あの時の悲しみは、あの時の自分とともに、ずっと残る。
登場人物だと、わたしは柊(ひいらぎ)が好きだった。作中の「まるで異次元に育てられて物心ついたからとぽん、とここに放り出されたその場所で生きてゆきます、というような生き方」というのがまさに!と感じる人物だった。(そしてこの表現も好きだ!)
この「ムーンライト・シャドウ」は、著者が大学生の時の卒業作品らしい。卒業制作とかって、小説とかそういう方法もあるんだなあ。