遠藤周作の『おバカさん』を読みました。以前読んだ『ヘチマくん』に続いて二冊目のユーモア小説ですが、こちらのほうが先に発表された作品です。
主人公はフランス人のガストン・ボナパルト。昔ペンフレンドだった隆盛の家を頼りに日本に突然やってくるというのが物語の始まりです。馬のような長い顔をもち、お金も能力もなさそうだけど、なんだか憎めない不思議な人。言動は常識から外れていて、周囲を困惑させます。
彼は一体何をしに日本に来たのか?真意は物語の終盤で明かされます。(以下、ネタバレあり)
居心地の悪さと「真心」
正直に言うと、ガストンの存在は私にとって居心地が悪いものでした。なんかこう、掛け値なしの優しさとか寄り添いって私はちょっと怖いんですよね。ある程度打算的に進んだほうが納得しやすくて。物語の人物たちも当初はおおむね同じ戸惑いを抱えます。
しかし、少しずつですが、彼の影響で人々の態度が変わっていくのです。
「救う」ことと「救いを感じる」こと
ナポレオンと名付けた野良犬とともに、居候していた隆盛の家を飛び出したガストン。その後出会うのは、娼婦や占い師、殺し屋といった社会の裏側に生きる人々です。彼らは自分の境遇を変えたいとは思っておらず、環境に順応しているようにみえます。ガストンが寄り添ったからといって、状況が好転するわけでもない。
それでも、彼の存在は小さな変化を生みます。人々はガストンに食事を与えたり、寝場所を提供したりする。そこには「救われた」という実感ではなく、「救いを感じる」という温かさがあるように思えました。
「真心で人は救えない。だけど救いを感じることはできる」。私はそこに物語の核を見ました。が、腑には落ちませんでした。
キリストの影と腑に落ちない気持ち
終盤では、ガストンの動機が明かされます。彼は劣等生の自分でも神の教えを実践したいと日本にやってきたのでした。
作中で名言はされていませんが、どうやらガストンにはキリストの姿が重なるようです。
私自身も人との交流や文学などを通して「救いを感じる」ことで、ここまで生きてきたとは思うのですが。どうもしっくりこないのは、宗教に対する抵抗が強いからなんでしょうか。
避けては通れなそうな「聖書」
煮え切らない気持ちを抱えたまま読み終えたこの本で、遠藤周作の作品は十冊目となりました。なんとなく、次に進むには「聖書」を避けて通れない気がしています。読むときに考えたいことを、ここに書き留めておきます。
- 真心で救いを「感じる」とは何か
- 憐れむことは慈しむことになるか
もしかするとここで行き止まりになるのかも。それでも、私には狸狐庵先生がいますからね。どうなっても、のんびり自分なりに深めていきます。
一度読んだ時に、なんだか小難しく読んじゃった気がするなあ。と思って時間を置いて再読してからレビューしてみたのですが、印象が変わらなかったですね。
多分、こんな風にして読む本ではなくて、肩ひじ張らずに楽しめる本のはずなんです。この「分からなさ」の雰囲気は、作中の隆盛の妹・巴絵の感覚に似ています。頭でっかちな部分が邪魔しているんじゃないかな。
