BOOKS:LIMELIGHT

読んだ本を、感想とともに紹介していきます。

詩とはなんなのかー黒田三郎「小さなユリと」「詩の作り方」を通して見えたもの

先日読んだ茨木のり子の「詩の心を読む」は、さまざまな詩人を紹介してくれる内容だった。なかでも、わたしは「吉野弘」「岡真史」「黒田三郎」「川上肇」「石垣りん」の詩が心に残った。

気になる人を少しづつ深めようと、8月は黒田三郎に焦点をあてて読書していた。自分の弱さを抱えながら、子供を育て仕事をする姿に響くものがあり、もっと知りたいと思ったからだ。

読んだのは、「小さなユリと」「詩の作り方」の2冊。

前者は詩集で、妻が入院している間に娘と2人で過ごした日々についての作品。後者は、タイトルに「作り方」とあるけれど、「詩」とはなんなのか?著者の捉え方を教わることで、自分の作り方のきっかけを探れるような本だった。

2冊を通じて、少しの言葉を紡いで表現する「詩」は、読む人や時期によって受け取り方が異なるものなんだということが、にじむようにわかってきた。あくまで「わかってきた」の段階であって、自分の結論には至っていないところがポイント。

これからいろんな詩を読んで理解が深まり、考え方・捉え方が変わっていくだろう。2冊を読んで、いまの自分はどんな世界をふくらませたのか?記録として書いておく。

「小さなユリと」…乖離する心、つなぎとめる娘の存在

妻が結核で入退院を繰り返し、3歳の娘と二人で生活していた時の私詩とある。前に紹介した「夕方の三十分」も入っていて、慌ただしい夕食の支度の様子が愛おしくて好きだった。

しかし今回、詩集として読んでみると、あの詩は虚しさと寂しさのなかに訪れた幸せな一瞬だったのだな…と気がついた。

自己嫌悪と無力感を
さりげなく微笑でつつみ
けさも小さなユリの手を引いて
僕は家を出る
「小さなあまりにも小さな」より

僕を責めるものは誰もいない
(中略)
にこにこ顔やねぎらいの言葉が激しく僕を鞭つ
「僕を責めるものは」より

小さなユリを大切に育てながら、仕事に精を出しつつ、病に伏している妻を想い生活する。実態は、酒を飲み、ユリを泣かせ、理由をつけては仕事を休む(仕事については、仕方ない面もあったと思う)

乖離する心と身体は自己嫌悪となって襲いかかる。しかし、妻が戻ってくるまで、二人で頑張って生活しなきゃいかん。と奮い立たせまた矛盾のループに戻っていく。そのなかで、この詩集は生まれたのだ。

いてはならないところにいるような
こころのやましさ
それは
いつ
どうして
僕のなかに宿ったのか
「夕焼け」より

通勤中の詩が多いことに気がつく。歩いたり、電車に乗ったりする一人の時間に、蓋をしていた気持ちが漏れ出して詩になったのだろうか。

これはわたしの中の勝手な理解だけど、黒田三郎は生きるために詩を書いたのだと思う。自分のコントロールできない部分に振り回されて疲れ果てた心への労い、叱咤、許容の側面があったように感じる。

書いた後は、また立ち上がれる気がして…だから私はこの人の書く詩が好きなのかもしれない。

「詩の作り方」…詩とはなんなのか?その答えは自分の中に

心に残った部分を、箇条書きにまとめてみる。

  • 「私にとって」よい詩とはなんなのか?の問い
    現代詩には基本のかたちというものが何もない。なので、まずは自分の好きな詩をみつけるところから。そして好きな詩人を見つけてとことん読む。

  • 「自分は見た」
    千家元麿の詩を紹介しながら。詩的対象はセンチメンタルな世界だけじゃなくて、普通の人なら見過ごしてしまいそうな「ある一瞬」を捉えることにある。
    目に見えるものだけでなく、心の中の光景を見る。

  • 詩は生まれるもの
    詩は作るのではなくて、生まれるもの。「たてまえ」をつきぬけた「ほんね」が出てきたとき、詩は生まれる。「たてまえ」と「ほんね」は、表と裏、外部と内部。

捉えどころがない詩のイメージは、自分で構築していくというのが面白そうだと感じた。自分が見聞きしたものと、出てきた「ほんね」とが混ざり合って詩が生まれるのか。

最後に。わたしはそもそも「詩の作り方」なんて知らなくてよかったのだ。そんなもんは、自分で探りたいほうだ。なぜ読むことにしたのか?忘れたくないのでメモしておこう。

とにかくいそがしい毎日です。(中略)このいそがしい毎日の生活にとって、詩は何の役にも立ちません。(中略)役に立つということでは、むしろ、何の役にも立たないというのが、詩の特徴です。

でも、時計に追われていそがしく働いている人間には、思いも寄らないようなものが、そこにはあります。おとなのすっかり忘れてしまった、子供の目のようなものです。(中略)詩は、こういう時計の鎖につながれた人間を、その鎖から解き放つものと言えます。
黒田三郎著「詩の作り方」より引用

このまえがきの掴みに惹かれて、読んでみたくなったのだった。国語教育での詩の扱いについて触れていたり、たくさんの詩人の引用も読ませてもらった。まだ理解しきれない部分がたくさんあるけど、読めてよかった。

深めたい詩の世界

今回は黒田三郎の「小さなユリと」「詩の作り方」を読んだ。

妻が不在の間、著者と娘で生活していたひと時を紡いだ詩集「小さなユリと」では、「夕方の三十分」という詩しか知らなかった自分が、詩集を読んでその1編がほんの一瞬の幸せに過ぎなかったことを知った。

日々のなかでふと漏れ出した気持ちを集めたこの詩集は、やりきれない想いが降り積もって身動きがとれないときに、また読みたい。

「詩の作り方」では、著者の現代詩の捉え方を教わりながら、自分ではどうやって深めたらよいかを示してくれるような内容だった。

自分の詩の世界を深めるために、まずはピンときた詩や詩人をとことん読んでみる。そうすれば見えてくるものがあるらしい。あとは、自分の目で見ること。実際の目と、心の目で見て、何が見えるのか?

わたしのフィルターは、何を見て、何が見えないのか。習うより慣れろで、やってみているところだ。

ほんの少しの言葉で、豊かに感じさせてくれる「詩」というものが好きだ。わたしは話が長いほうなので、短い文章で心に届くことにも驚いてしまう。

もっと知りたくなるのは、人の「ほんね」をみせてほしいからなのかもしれない。