以前挫折した土井善晴著「一汁一菜でよいという提案」を読了した。この本は料理のレシピ本ではなく、食生活に関する思想本という感じの本。
前に読んだときはどうも説教臭く感じて読めなかったのだけど、今回はすらすらと読むことができた。それは多分、自分のライフスタイルが昔よりも明確になったからだと思う。
この本は、料理自体を作るのがしんどくて、作らずに何とかしたいという人には向いていない。いまの世の中にはいろんなスタンダードがあって、料理を自分で作っても、作らなくてもいい。
忙しくてしんどいけど、自分で料理をつくって生きていこうと気持ちを固めた人が読むと、心に響く本だと思う。
一汁一菜とは
「一汁一菜」とは、味噌汁と、漬物と、ご飯のシンプルな食のかたち。この本では、さらに簡素化して一汁一菜を兼ねた「具だくさんのみそ汁」とごはんでもよいという提案をしている。
一汁一菜とは、ただの「和食献立のすすめ」ではありません。一汁一菜という『システム』であり、「思想」であり、「美学」であり、日本人としての「生き方」だと思います。
土井善晴著「一汁一菜でよいという提案」より引用
一冊を通じて、この結論に至るまでの経過を、文化的・歴史的側面などのさまざまな視点でみていく。
”きちんとした食事”からの解放
一般的に言うきちんとした食事は、「主菜・副菜2つ・汁物・ごはん」の一汁三菜。でもこれ、やってみると本当に大変で。わたしは20代の時、仕事と両立できなくて何度泣いたか分からない。
今では手の抜き方を覚えて、主菜も副菜も汁物もとにかく時短メニュー、10種類位の料理を延々リピートするようなちょっと切ない食生活をしている。時短メニューは本当に助かっているものの、なんとなく、味気ない気持ちがいつもある。
そこでこの本の「一汁一菜」なのだけど、わたしなりに取り入れたい概念は「一つを、しっかりつくる」というところだ。
「一汁」に心を込めて
作る余裕も時間もないのに、できっこないのに、おかずまで作る必要はないということです。それをやりはじめると良いことは全くありません、(P90)
土井善晴著「一汁一菜でよいという提案」より引用
「ハレ」と「ケ」を意識して、日々の食事のハードルを下げて日常の料理をつくるんだということ。特別おいしい必要もない。野菜、肉、魚、卵、そういったものをかけ合わせて、味噌をとく。
具体的な汁物の作り方には、以下のような方法があった。
- 味が出るものをセレクト
肉や魚、油揚げはうまみが強く、それだけで味の柱になる。
これらの要素が足りなければ、だし汁を入れる。 - 具材は炒めてもいい
少しの油で具材を炒めてから水を入れる。これは早速やってみたのだけど、一気に美味しくなった。
キャベツを炒めるのをおすすめしていたので、それも試してみたい。 - 卵を落とす
味噌を溶いて煮立ったところに割り入れて、3~4分火を通すとできるらしい。
卵は入れたことがないので、いまから楽しみにしている。
食材のバランスをみて、心を込めて調理すれば、満足感のあるご飯になる。一汁一菜を基本にして食事の秩序を取り戻せば、自ずとさまざまな楽しみが生まれる。品数で「きちんと」するのではなく、一品を「きちんと」つくるほうがいいなと考えをあらためた。
みそ汁の可能性を信じる
一汁一菜は、味噌汁を柱とします。味噌汁さえ作ればなんとかなると思ってください。
土井善晴著「一汁一菜でよいという提案」より引用
この言葉にはかなり救われるものがある。まあでも、一汁一菜では正直、我が家ではクレームが来そうな感じだ。
なので、味噌汁の可能性を信じて一汁に心を込めるところを、わたしの料理生活のなかに取り入れようと思う。
ご飯がすすむがっつり系の主菜を、いつも通り時短メニューで用意する。わたしが一生懸命につくるのは一汁。一回の食事のなかで、一つのメニューに心を込めるのをやってみている。
人間の暮らしで一番大切なことは、「一生懸命生活すること」です。料理の上手・下手、器用、不器用、要領の良さでも悪さでもないと思います。一生懸命したことは、一番純粋なことです。
土井善晴著「一汁一菜でよいという提案」より引用
仕事に生活に忙しくて、やりたいこともあって、今までもこれからも精一杯の日々だ。省略することはするけど、いつも何か一つは一生懸命にやろう。
食生活は、確実に自分の土台の一つだと思う。自分の「きちんと」する部分はどこなのか、秩序をもって暮らすことの大切さが身に染みた。