魚豊『ひゃくえむ。』を読みました。
先週映画を観て、これは原作から読みたいと購入。
原作は映画より生々しく(これはチ。もそうだったな)、そして映画は結構大胆に設定や展開が編集されていて驚きました。後で触れますが、これはすべて〝あの一瞬〟に集約させるためでしょう。個人的には、見事にそれは果たされていたと思います。
この作品は、紛れもなく「100m走にすべてを賭けた人間たちの物語」です。しかし、私の中では、もはや陸上を超えた「生きる醍醐味」を描いた作品だという結論になりました。なので、陸上の話はあんまりしません。飛躍した感想になるので、それでもいいよと思う方だけ読み進めていただけたら幸いです。
個性や取り柄は、かつての集団内の優劣だ
小、中、高、社会人と、走り続ける主人公たちを傍観して、あらためて思うこと。
人は1人では生きていけません。
1人じゃないから、優劣ができます。
他者よりはみ出た部分が「個性」ということになります。
集団内で、 都合の良い部分は長所になり、
都合が悪い部分は短所になります。
長いスパンでとらえた長所は取り柄となり、やがて生業になったりもします。
ただ、見出す長所や個性はその集団の中でのことです。
集団が変わればまた優劣の確認があります。
そこで自分より優れた者がいれば、いままでの「長所」は価値が目減りします。
目減りした価値は磨いて補填するか、
別の何かで補うか。
それとも、優れた者を排除しようとするかー。
こういう生存戦略を繰り返してここまできたのだなということを、映画を観てから強く意識するようになりました。
その長所に懸けたことはあるか?
登場人物たちは「足が速い」、その長所に懸けています。日々練習をして、苦い思いも駆け引きも全部引き受けて淡々と、でも決意を持って自分を捧げます。
細かい努力の描写はあまりありません。その代わり、それぞれの人物たちの言葉が努力を語ります。一人ひとりの言葉に宿る哲学が、この物語の一つの見どころだと思います。
天性の才能から現実を知っていくトガシ。
自分なりの納得感を何より優先する小宮。
信念を捨てること、また拾いにいくことの重みを知る仁神。
孤独のなかでひたすらに独自の王国を築く財津。
〝勝てない〟に新たな解釈を見出す海棠。
生まれた言葉は、すでにネットにたくさん落ちてるだろうけど私は言いません。
ぜひ、原作で、映画で、本人たちから聞いてほしいです。
一瞬に思いを懸けたいんだ
100mは約10秒、始まったらあっという間に終わります。その一瞬一瞬に、どれだけ真剣になれるだろう。
分かったり、分からなくなったりしながら真理に近づいていく最後の走りの〝あの一瞬〟には、何度読んでも涙が滲みます。
人生100年と言われてるけど、どうだろう、正味80年くらいかな。
私はそろそろ折り返しですが、振り返るとあっという間だったし、これからも多分あっという間に終わります。
その間、どれだけ真剣になれるでしょうか。
彼らみたいに何かに懸けたことのない私も、この作品を観て読んでから自分に懸けてみたいと思うようになりました。
生きる醍醐味は「懸けて」こそ
ただ、情けないことに懸ける対象がありません。悔しいな。
ただ、〝あの一瞬〟には、覚えがあるんですよ。
作ってるものの方向性が見えて、あとは頭に浮かんだ方法を全部試してみるだけっていう時。時間を忘れて没頭しちゃうあの夢中な瞬間。あの一瞬は、私なりに「懸けて」いる感じがします。
突出した能力も覚悟もないけど、あの夢中な一瞬の積み重ねなら、私にも。こんなに憧れたんだもの、あっという間の人生だもの、一度はやってみないことには。
生きる醍醐味は「懸けて」こそだ。
ああ、全力で走ってみたい。
どこに?分からなーい。
…ので、一瞬の積み重ねを。

