遠藤周作「ヘチマくん」を読んだ。純文学、エッセイは数冊読んでいたものの、ユーモア小説は初めてだった。
ユーモア小説とは、軽快なタッチで描かれた、上品なおかしみがある小説のことを指すらしい。人を傷つけないのも特徴だそうだ。
確かに設定だったり展開には、おかしみを感じる突拍子のないものが挟まっていたりもしたけれど、個人的にはかなり読み応えのある、読後はしばし考えてしまうような本だったと思う。
ただ、純文学作品のように思い悩むのではなくて、青空を見上げながら、ぼーっとしてしまうような感じ。夏休みっぽい爽やかな感じがした。
まだ、どんな感想になるかわからない。物語を思い出しながら、書いてみよう。
(以下、ネタバレあり)
登場人物
- 主人公・ヘチマ(豊臣鮒吉)
のんびり、もっさり。いま、失業者。
豊臣家の末裔かもしれない。
心象風景「なるようにしかならないわ
悲しく沈む夕日でも
あしたになれば登るのよ(昔の流行歌より)」 - ドクダミ(熊坂)
野心もち、ちゃっかり。いま、実業家。
女性にめっぽう弱い。
座右の銘「転んでもただ起きぬ」
人生訓「人のものは俺のもの 俺のものは俺のもの」 - 林檎(銀子)
クラブ「林檎」のママ。
したたかに生きる銀座の女、ドクダミの憧れの人。 - 典子
高級果物屋の娘。いま、実業家の妻。
お嬢さんらしいお嬢さん。ヘチマの憧れの人。
その他、歩く週刊誌のような竹井、林檎に惚れ込む鮎川など。
あらすじ
ある日、ヘチマとドクダミは道端で再会する。彼らは戦時中に、学びを共にした友だった。
戦後の混沌の時代、自分の身は自分で守らねば生き抜けない。その中で野心を持つもの、世渡り上手に歩むもの、ヘチマのように過ごすもの。同じ出来事を共有していても、それに対する考え方、行動の仕方が違う。それぞれの思いは複雑に交差していく。
思惑蠢く群像劇…の中に、ヘチマ。
ドクダミは成功、林檎は安泰、竹井はカネ。みんな欲しいものがある。銀座、池袋、お茶の水、鹿児島など舞台を変えながら、それぞれの思惑に向かって錯綜する。
渦のような話の中に浮かぶは「ヘチマ」の存在。竹井にまんまといっぱい食わされ、林檎に利用され、ドクダミにも豊臣の名を使われる。
しかし彼は怒らず、少しの困惑とともにそこにいる。ただそこにいることの意味を考えさせられる。
ヘチマの幸せ
ヘチマは「浮世離れとはこのことか」と思うくらいにふわふわ漂っている。ここにいるのにいないみたいな顔をよくしている。
作中、彼が求め続けたのは、学生の時に一度会ったきりの典子だけ。それも、恋に満たない、かなり淡い気持ちだと思う。
彼はそのことについて深掘りしたりはしない。名家のお嬢さんだし、考えたってどうにもならないからなのかな。だけど、思いは自然に行動となって、典子が入院する病院へと足を運ばせる。その健気さが胸を打つ。
弱肉強食の処世術、銀座の煌びやかな嘘、幾度となく騙され化かされる長旅。
そんな中で、彼の目にはっきりと映っているのは、稲村ヶ崎の海の音、紅色の小さな貝殻。鹿児島の碧く広がる空とやさしい雲、鮮やかな桜島の山。
ああ、空も山もこんなに美しいのに……
遠藤周作「ヘチマくん」より引用(P361)
「なるようにしかならないわ
悲しく沈む夕日でも
あしたになれば登るのよ」
彼の胸に流れる哀しいメロディが繰り返し流れる。
痛み分けた先の変化
最後の最後、ヘチマとドクダミが二人で話すシーンが好きだった。
失業者のヘチマにドクダミが世話を焼いた時に返す返事に、芯が生まれたのを感じた。ドクダミの考え方にも、静かに、確かな変化があった。
林檎も一時の休養を経て、良くも悪くも変わるだろう。せっかく魅力があるのだから、ねじくれないことを祈る。典子も前途多難だろう。頼むから幸せであって欲しいと、ヘチマのような気持ちになる。
竹井は正直、終始腹立たしかったけど、時折見せる詰めの甘さや小心者なところに人間味を感じてしまう。まあでもきっと、変わったとしても嫌なやつだろうな。そういう不思議な安心感がある。
痛み分けた先の変化が見たくなる。どの人間にも長所と短所が光る、魅力的な人物ばかりだった。
昔はヘチマ、今はドクダミ
ヘチマを見ていると、私はかつてこういう人間だったと感じる。銀座で昔働いていた(夜のお仕事じゃないよ)から特にそうかもしれないけど、なんかこう…目的で生きていなくて、ただこの星の傍観者としている感覚…あの頃の気持ちを忘れてしまった。
今の私は、ドクダミに共感する部分が多かった。「転んではただ起きぬ」の考えもそうだし、アイデアが閃いたら、それを具現化するべく奔走していく愚直さは見習いたいくらいだ。
しかし、うまく言葉にできないけれど、あのヘチマ的な目線は…忘れてはいけなかったような気がしている。
憂き世に降り立ち、いま、ここにいることの意味。
ヘチマが最後、これまで出会った人たちに挨拶するように街を巡る様子を見て、私も一寸、やってみるのも良いのではと、思ったりしている。
