今日の読書感想と関係なくもない、ある日の会話。
「ネット上で自分語りする人、ほんと意味わかんないわあ」
「(う…)へー、例えばどういうのですか?」
「なんかさ〜気持ちを語ったかと思えば後で消したりしてなんなんだよ!じゃ初めから言うんじゃねえ!って思う」
「(うわ…)ああ、それはわたしもやったことあります、でも別にいいじゃないですかみんな喋りましょうよー」
「いや、いい。私はそんな恥ずかしいことしない」
うわああああーーー!!!
その場では「まあそうですよね〜」とかいいながら、思い当たる節がありすぎて叫んで逃げ出したくなったのでした。
さあ、今日も後で消したくなるかもしれない読書感想を書いていきますよお。
今週は宮沢賢治一色でした。大人になった今読むと辛くなっちゃって、途中でやめようかと思ったんですけどね、こうなりゃどっぷり浸かろうかと読み続けました。
この方はものすごい多作でありながら、完成形まで仕上げた作品はごく少数という、今の私にとっては希望?のような存在でもあります。それでは読んだ順に日記調で話していきます~。
2/9(日)〜10(月)「サガレンと8月」
人間と、それ以外の世界と、二つの世界の境界線に立つような物語。
読後があんまりしんどくて、自分の中に持って置けなくてすでに書いてある。
作品の中に、作者の心象風景は色濃く投影されるものなんだということがあらためてわかった作品だった。未完だから、尚更もんもんと考えてしまうな… でも、もう話したので一旦終わりにする。書くことは区切りでもある。
2/10(月)「注文の多い料理店」
「サガレンと8月」が作者にとってどんな状況の時に作られたものなのか知りたくなり、家にある本を開いた。後ろのほうに作者の略歴が載っていたので、そこをまず読む。
そこで妹の死が関係していることが分かり、作品のもつ意味を再度落とし込むことができた。歴史とか興味なかったけど、こんなふうにだったらもっと知りたい。
2/12(水)「銀河鉄道の夜」
まだ「サガレンと8月」について考えてて、確か銀河鉄道の夜も雰囲気はこんな感じだったか?と、またKindleで無料ダウンロード。
ここにも途中途中で原稿がなかったり空白だったりして、完全な状態ではない。ただもう、伝わってくるのはもどかしさ、報われなさ、やり場のない思い。
鉄道内の様子だったり、途中下車して見上げる空、そういうものは本当に美しくて、その対比でまた込み上げてくる。
また、こっちは結末部分をしっかりと結んであることに、しばらく呆然とする。
2/13(木)〜「月夜のでんしんばしら」「どんぐりと山猫」
「注文の多い料理店」にまた戻ってきて、2つの物語を読む。
- 月夜のでんしんばしら
西荻のカレー屋にあった豆本が、確かこの話だったと読み始める。
なんとなく井の頭線(明大前〜下高井戸間)で再生されて、電信柱が軍隊のようにずんずん歩いていく様を想像した。
昔はよく、夜中にあそこを所在ない気持ちで通ったものだなあと懐かしくなった。 - どんぐりと山猫
なぜこの本を買ったのかを思い出す。わたしはこの話がとても好きだった。
ある日手紙が来て、出来事が起きて、あれはなんだったろうと振り返る。ああしてればよかったかしら。と思ったりしても、そこに後悔はない。
起こったことが心に残ってるから大丈夫なんだよね。
今週読んだのはこのくらい。急いで読めば全部読めたかもしれないけど、この人の作品は次に次にと読むもんでもない。週末にかけてまた少し読むだろうけど、あとは次の機会までまた本棚で眠っていてもらおう。
加筆・修正を重ねること
今週は「サガレンと8月」に始まり、「銀河鉄道の夜」「月夜のでんしんばしら」「どんぐりと山猫」と読み進めました。
「注文の多い料理店」の巻末説明には、著者は何度も何度も作品に手を加えているためほとんど完成系の作品がないとありました。また、題名について何度も試行錯誤していた跡なども紹介されていて、語感にも強い思いが込められていたことも知りました。
何度も何度も加筆修正して自分の言いたいこと、表現したいことがこれなのかを確認する。健気な、一本気な性格が透けて見えます。
わたしも日々たくさん書いてはいますが、消すことも、後から手を入れることも割とあります。それをする度、きっと本当に自分の言いたいことに近づけてるんじゃないかと、この人の姿を見て思います。
今日の自分語りはこれで終わりです。大人になってから読む宮沢賢治、ちょっと見方が偏ってますでしょうか。未来の私はしっくりこなくて消しちゃうのかな?細かな修正くらいかなあと思うんですが、どうでしょうか。